ZESDA's blog

グローカルビジネスをプロデュースする、パラレルキャリア団体『NPO法人ZESDA』のブログです。

プロデューシング・システムを創ることで、日本経済の活性化を目指す、NPO法人ZESDAのブログです。


Mr. Nicolas du Boisより「教育改革の提案 〜南アフリカで塾モデルが機能する理由〜 」 Platform for International Policy Dialogue (PIPD) 第34回セミナー開催のご報告

NPO法人ZESDAは、「官民恊働ネットワークCrossover」(中央省庁の若手職員を中心とする異業種間ネットワーク)との共催、株式会社クリックネット まなび創生ラボ株式会社自由が丘パブリックリレーションズの協力により、在京の大使館、国際機関や外資系企業の職員、及び市民社会関係者をスピーカーに迎え、国内外の政治・経済・社会問題について英語での議論を通じて理解や問題意識を高める、「Platform for International Policy Dialogue (PIPD)」を開催しています。


4月1日(土)に開催した第34回PIPDセミナーは、Nicolas du Bois氏とAlexei du Bois氏のお二人をゲストスピーカーとしてお招きしました。お二人カナダ生まれの兄弟であり、イギリス、南アフリカへと移り住み、今は南アフリカに日本の「塾」をモデルにした取組みを始めようと共に尽力しています。お二人からは、日本と南アフリカの教育システムを比較しつつ、南アフリカでなぜ日本の「塾」をモデルとしたビジネスが大きな可能性を持っているか、お二人のビジョンやビジネス・プランと併せてお話しいただきました。なお、英国のオックスフォード在住のAlexei氏は、ビデオ会議のアプリを使ってセミナーに参加、お話を頂きました。

◆日本の教育システムについて
まず、Nicolas氏からは、2011年から3年間、JET(Japan Exchange and Teaching) Programへの参加を通じて、日本の静岡の高校で英語を教えていた時の経験が共有されました。JET Programとは、主に教育分野でキャリアを歩みたい方を海外から募り、日本の公立学校で英語を中心に教鞭を執る経験を提供しているプログラムです。
JET Programの受入人数は近年減っていましたが、東京オリンピックを見据え、日本人の英語力向上というニーズに応えるべく、再び増加傾向にあるそうです。また、このプログラムにより外国人講師が派遣される学校は、これまで主に地方都市が多かったそうですが、最近では東京や大阪のような大都市にも派遣されるようになっているそうです。

このプログラムに参加した経験から、Nicolas氏は日本の公教育について「平等性」が非常に高いと感じたそうです。例えば、教材費など多少の費用は要するものの、基本的に無料であること。設備についても公費により一定のレベルが保証されていること。そして教師についても一定の質が保証されており、レベルが非常に高いこと。また優秀な教師が教え易い学校ばかりをえり好みしないよう人事異動により一定期間ごとに配置転換があること等が、学校間の質の平等化に寄与しているのではないか、と述べられていました。

◆日本の教育システムについてディスカッション
続いて、Nicolas氏のプレゼンテーションも踏まえながら、参加者同士で「もし、もう一度小学校・中学校の教育を受けられるなら、どんな教育を受けたいか」をテーマに、4,5人の小グループをつくって英語で話し合った後、会場全体で内容を共有しました。
「国際的な感覚」や「コミュニケーションスキル」、「何が真実かを見極められる力」など、現代の社会に対応して必要なスキルや能力が挙げられる一方で、「そもそもなぜ勉強が必要なのか、どんな意味があるのか」を学びたかったという意見や、「学校は子どもに安心できる時間や場所を与えられることが必要」という意見も出されました。

南アフリカの教育システムについて
ディスカッションの後、スピーカーのお二人が受けた南アフリカの教育システムについての紹介がありました。まず南アフリカの国全体のGDPは日本の7分の1程度、人口は半分程度(5,200万人)ですが、一人あたりのGDPは6,600USドルとアフリカ諸国の中では相当豊かな国です。しかしアパルトヘイトの影響もあり経済格差が大きく、学校についても親の所得に応じて5段階に分けられているそうです。

最も所得が高い層が通う学校と、最も所得が低い層が通う学校の様子が写真付きで紹介されました。所得が高い層が通う学校には机や椅子はもちろん、広大なグラウンドやテニスコートがあり、その質は日本の公立中学・高校すら上回るように見えます。一方で、所得が最も低い層が通う学校の写真を見ると、非常に小さい教室で、机は先生用のものだけ、冷暖房もないために冬は非常に寒いなど、両者には大きな差があることが窺われました。

最も所得が高い層が通う学校は、アパルトヘイト時代には白人しか通うことができなかったそうです。現在はそのような区別はありませんが、南アフリカの所得水準からするとかなり高額の年間約40万円の学費が必要となることから、実際に通うことのできる層はごく僅かとなります。

教育の質についても、日本の教師は国家資格という最低限の基準を必ず満たしている一方で、南アフリカでは75%の教師は基準を満たしておらず、また公的な人事異動システムもないことから、基準を満たす優秀な教師は、待遇がよく、教え易い、優秀な生徒がそろう一部の学校に集中する状況となっているそうです。地域の経済・社会的環境が学校教育の質の差に直結しており、学校間で提供される教育の質は日本と比較にならないほど大きなものとなっているとのことです。

実際、教育の成果の一つである学力について、発展途上国間で数学と科学の点数を比較した場合、南アフリカは15歳時点でデータをとっているにもかかわらず、14歳時点でデータをとっている他の国と比較しても相当低くなっています。さらに、所得によって分けられた5段階の学校群ごとに平均の点数に大きな開きがあり、また、公立と私立の間でも大きな格差が存在しています。また、段階別の学校群ごとの大学進学率にも大きな差があります。大学への進学率の差は、後に就業率の差となって将来の所得や生活の安定にも大きな影響をもたらすとのことでした。

◆「塾」プロジェクトについて
このような南アフリカの教育事情を背景として、以下の理由からNicolas氏とAlexei氏は日本の「塾」をモデルとしたビジネスが成立すると考えたそうです。

・沢山のnon-profitの取組みの存在
まず南アフリカには、既に沢山のnon-profitの教育に関する取組みがあるそうです。しかし、お二人はnon-profitモデルではなく日本の塾のように、お金を払ってもらう塾モデルを採用しました。これは、non-profitモデルでは継続的な収入がないため予算制約があり、救うことができる学生の数には限りがあること、また、無料で受ける教育よりも、たとえ少額でもお金を払って受ける教育の方が高い効果が得られるという研究があることを踏まえてのことです。それぞれが支払う額自体が少額であっても、一度の授業で20人~30人程度が参加すれば、塾全体では一定の収入が確保できるだろうと考えているとのことです。また、このようなモデルは他の発展途上国でも成功例があるとのことです。

・大学に進学できない理由
低所得層が大学に進学できない理由の一つである、大学入試の各科目の最低基準を満たすことすらできない、という問題に対応するために、お二人は、公教育とは別の補足的な教育を提供できれば、中・低所得層であっても大学に進学できる可能性が高まり、将来の安定的な収入につながるのではないかと考えています。なお、私立学校を設立するという選択肢を採用すると公立学校から優秀な教師を奪ってしまうという問題が発生するところ、塾モデルであれば、公立学校と補完的な関係を保つことができるといえます。

・成果測定、広報が可能であること
日本の塾や予備校では、「東大○名合格!」などの実績がアピールされています。南アフリカでは、多くの学校はこのような実績の測定や広報をしておらず、教育の効果が不透明と言えます。

このような中で日本の塾のように実績を測定し、広報することができれば、それは大きなアドバンテージになるだろうと述べていました。さらに、彼らは小中学生ではなく高校生を対象とした塾を開くことを考えていますが、この実績が測りやすいという点から、高校生を対象とするという選択をしたそうです。

今回は土曜日の開催ということもあり、セミナー後に懇親会を開き、参加者皆でNicolas氏を囲んで教育談義に花を咲かせました。


今回も株式会社クリックネット社長の丸山剛様、並びに社員の皆様のご厚意で、セミナー会場として同社が主宰する「まなび創生ラボ」をお貸し頂きました。この場をお借りしてお礼申し上げます。有り難うございました。

春蘭の里訪問(2/25-26)

我々ZESDAは、グローカリゼーション等による地方創生支援実施に向けた事前調査の一環として、石川県能登町の「春蘭の里」を訪問し、オーナーの多田ご夫妻、並びに青年部会の方々と交流して参りました。

春蘭の里とは、地域(集落)の活性化を通じて、故郷や自然を愛し、利己主義ではない個人主義(個々、人が全て良くなることを願う)に基づく、老若男女にとって魅力溢れる故郷作りを目的とした地域創生プロジェクトです。

里のキャッチフレーズ「きっと見つかるはず・・・あなたの探し物」に惹かれ、金曜日の夜、有志のメンバーで夜行バス、列車に乗り、能登半島に向かいました。

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【1日目】
・宮地交流宿泊所「こぶし」にてランチ

 「こぶし」とは、小学校の跡地を改装した宿泊施設で、学生を含めた多くの自然体験観光者に利用されています。観光者同士の交流の場となっており、皇太子殿下も視察に訪れています。小学校時代を回想しながら、美味しい山の幸を食し、とても懐かしく新鮮な体験でした。

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・多田様と合流、薪割り体験
 とてもエネルギッシュな多田様と合流し、森へ。森に入ると、チェーンソーと学生の歓声が鳴り響いていました。

 我々もチェーンソーでの樹木切断、薪割りに挑戦しました。
男性陣が顔を真っ赤にしながら空振りを繰り返すなか、女性陣が淡々と薪を割っていました。

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・五右衛門風呂体験
 薪割り体験後、自分たちで割った薪を使って五右衛門風呂体験をしました。男性陣の頑張りも虚しく、とてもぬるい湯でしたが、そのお湯に浸かりながらの会話はとても楽しいものでした。

自治体・春蘭の里青年部の方々との意見交換
 夕食を待ちながら、学生たちが宿泊する民家で、囲炉裏を囲んで団欒しました。多田様や自治体の方、春蘭の里青年部の方から、それぞれの春蘭の里への想いと将来像についてヒアリングをさせていただき、我々ZESDAによる支援のヒントを得ることができました。

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・多田夫妻との懇親会・意見交換
 いよいよ夕食。野菜とキノコをメインとした料理で、とても美味しく、実はキノコ嫌いの僕でも美味しくいただくことができました。
夕食をとりながら、多田様の奥様にZESDAの活動を紹介し、メンバーそれぞれの活動への想いをお伝えしました。
 そして、多田様が登場。お酒を交わしながら、春蘭の里を始めた経緯や、ご自身が感じている里の課題、将来の夢を語っていただきました。
 我々からも春蘭の里支援に向けた考え方を伝え、今後本格的にサポートをさせていただくこととなりました。
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【2日目】
・多田様所有の海の家を視察

 多田様に、宿泊施設の一つとして一棟貸しで使われている海の家を見せていただきました。3階建のとても広い古民家で、2階、3階からは海が望め、まるでジブリ映画「千と千尋の神隠し」で竜と化したハクが銭婆に追われて逃げ込んだ従業員寮のような風景でした。

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・リノベーション予定地、食品加工工場の視察
海の家の訪問後、宿泊施設やカフェにリノベーション予定の空き古民家を訪問しました。また、食品加工工場では、お菓子や漬物の製造工程や管理方法を拝見しました。

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【所感】

 第一回目の春蘭の里への訪問は、オーナーである多田ご夫妻や青年部、自治体の方々との交流を深めることができ、非常に有意義なものとなりました。さらに、薪割り体験やリノベーション予定となっている古民家の訪問を通して、ごく一部ながらも春蘭の里の魅力を体感することができました。

 今回の交流をきっかけに、今後春蘭の里の発展に貢献していきたいと考えています。

 次回の訪問が非常に楽しみです!

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Ms. Lucy Birmingham & Dr. David McNeill より 「3.11 Disaster - 6 Years on - Foreign Journalists' View(3.11 大震災から6年~外国人ジャーナリストの視点~)」 Platform for International Policy Dialogue (PIPD) 第33回セミナー開催のご報告

NPO法人ZESDAは、「官民恊働ネットワークCrossover」(中央省庁の若手職員を中心とする異業種間ネットワーク)との共催、株式会社クリックネット まなび創生ラボ株式会社自由が丘パブリックリレーションズの協力により、在京の大使館、国際機関や外資系企業の職員、及び市民社会関係者をスピーカーに迎え、国内外の政治・経済・社会問題について英語での議論を通じて理解や問題意識を高める、「Platform for International Policy Dialogue (PIPD)」を開催しています。

3月11日(土)に開催した第33回PIPDセミナーは、Lucy Birmingham氏とDavid McNeill氏のお二人をゲストスピーカーとしてお招きしました。お二人は日本で活躍するジャーナリストで、TIME誌を始めとする様々な雑誌、新聞に記事を掲載されており、東日本大震災の時も多岐にわたる取材活動を展開、いち早く東京電力福島第一原子力発電所を含む東北3県の被災地を訪問し、地震津波の被害を受けた様々な方々から当時の経験やその後の想いについて丁寧な取材を重ねてきました。そして、2016年12月に、その中から特に6人の方のストーリーをまとめた「雨ニモマケズ: 外国人記者が伝えた東日本大震災」という本を共著で出版されています。

東日本大震災から6年目となるこの日、お二人からは「雨ニモマケズ」で取り上げたストーリーを中心に、「3.11 大震災から6年~外国人ジャーナリストの視点~」をテーマにお話しいただきました。

満員御礼となったセミナーの冒頭では、参加者皆で、震災の犠牲になった方々や被災地の方々に想いを馳せるべく、1分間の黙祷をささげました。そのうえで、スピーカーのお二人は、非常に印象的な写真とともに、共著「雨ニモマケズ」の登場人物である6人の方々を紹介してくださいました。

◆1人目:桜井南相馬市
まず、McNeill氏から南相馬市長の桜井勝延氏が紹介されました。南相馬市では、人口のほとんどが域外に避難し、お年寄りや貧しくて車が無い人々だけが取り残されました。そして、様々な物資が不足しているにもかかわらず、原発からの距離が近い南相馬市にはメディアが入らず、その窮状が伝えられることはありませんでした。そこで、桜井市長はYouTubeで窮状を訴え、助けを求めることで、この難局を乗り越えました。

◆2人目:相馬市の漁師、イチダさん
McNeill氏は続いて漁師のイチダさんを紹介されました。地震発生直後、多くの漁師は津波の到来を予想し、船で沖に出ようと試みました。なかには間に合わず、港付近で高さを急激に増す波に飲まれて亡くなった方も少なくありません。イチダさんも同じように船に乗り、高さを増した波頭をぎりぎりで乗り越え、危機を逃れました。McNeill氏は、「イチダさんから、震災・津波の体験を語ってもらうのは簡単ではなかった」と振り返ります。何度も断られながらも繰り返し接触したのちに「一度だけなら話す。ただ、一度きりだ」との条件で話をしてくださったそうです。この点について、アイルランド出身のMcNeill氏は、「アイルランド人漁師は自分の経験を何度も繰り返し話したがるし、その話は繰り返す度に誇張されていくものだ」とお話ししながら、日本の漁師との気質の違いを感じた、というお話をされました。

◆3人目:福島第一原発で働くワタナベさん(仮名)
McNeill氏から、3人目として原発で働く20代の若者、ワタナベさん(仮名)が紹介されました。ワタナベさんとは、駐車場で偶然出会ったそうです。ワタナベさんは双葉町で育ち、父親原発で働いていたそうです。原発事故後、ワタナベさんは既に避難していましたが、使命感から発電所に戻り、危機対応に当たったそうです。しかし、非常に危険な仕事にもかかわらず、賃金は事故直後の最も線量が高かった時期でも月給40万円、その後は30万円程度と、十分とは言えない水準であったことを紹介されました。

◆4人目:夫をなくした陸前高田市のセツコさん
Birmingham氏からは、まず辛い経験を共有してくれる人を探すことは非常に困難であったことが話されました。McNeill氏が紹介した漁師のイチダさんが多くを語りたがらないように、トラウマ的な体験や親族の喪失といった悲しい経験をした方は、そのことについて喜んで話すということは当然ありません。

4人目として紹介されたセツコさんも、夫を津波によって亡くし、また、そのご遺体も中々見つからなかったそうです。震災一週間後、セツコさんはご主人のご遺体と学校の体育館で対面、その体は綺麗に洗われた後、火葬されました。Birmingham氏は、アメリカでは遺族であっても遺体を直接看取ることはなく、そのまま葬ることから、日本との文化の違いを感じた、と話されました。

◆5人目:東松島市の小学校教師、デイビット・チュムレオンラートさん
Birmingham氏は次にテキサス州出身のタイ系アメリカ人の小学校教師、デイビット・チュムレオンラートさんのストーリーを紹介されました。当時、体育館に多くの人々が避難していましたが、津波は体育館に浸水、水位は3メートル以上の高さにある時計のところまで迫ったそうです。避難していた方々は、体育館の2階部分にあるバルコニーにしがみつき、何とか難を逃れたそうです。チュムレオンラートさんは、当時の様子について一度メディアからインタビューを受けたそうですが、珍しい外国人被災者ということもあって、その後取材の依頼が殺到したことから、漁師のイチダさんと同じようにそういった露出を避けるようになったとのことです。しかし、Birmingham氏は知り合いの伝手でチュムレオンラートさんとコンタクトをとることができ、お話を聞くことができたそうです。

◆6人目:荻浜町の18歳(当時)サイトウさん
最後に、Birmingham氏は、震災前に家があった場所に立つサイトウさんの写真を紹介されました。サイトウさんの兄と母は、津波に飲まれながらも、かろうじて脱出し助かりましたが祖父を亡くされたそうです。当時サイトウさんは、東北大学への入学が決まっていましたが、家や財産を無くしたため、無事に進学できるかどうか非常に心配だったそうです。しかし、東北大学から金銭的な支援が得られ、無事に入学することができたそうです。卒業後はロボット研究の道に進み、高齢者の運動をサポートするロボットの研究・開発に取り組まれているそうです。

◆震災時の取材活動について
震災、特に福島第一原発周辺に関する取材活動は、多々困難があったそうです。当時、政府は原発及び周辺地域の取材活動を強く規制していました。また、情報開示も不十分であったように感じた、とのことです。
McNeill氏は外国人記者に取材許可を出さない政府や東電に対して、「放射能の問題は日本だけでなく、世界の問題である」と主張し、取材許可を強く求めたそうです。McNeill氏が事故発生直後に自らサイトを訪問した際に撮影した原発の写真の一つである、ロッカールームに敷き詰められた布団の写真からは、当時、原発作業員の方々がおかれていた厳しい勤務環境を窺い知ることができます。
また、飯舘村で取材したある農家の写真も見せていただきました。震災によって畑や家畜を失い、それまで何代にもわたって築いてきた生活は一瞬にして破壊されてしまいました。McNeill氏は、その農家の主であるショウジさんの話を、涙なしに聞くことはできなかったとのことです。

会場からは、震災時の取材時に意識していること、心に留めていたことについて質問がありました。

お二人は、「一度で全て聞くことはできない。トラウマ的な経験をしている方はその経験について話したがらない。だから何度も足を運び、少しずつお話を聞いていくことが大事だ」、「敬意をもって接することが大切だ」と答えられました。
さらに、Birmingham氏は、避難所ではそれぞれの家族がそれぞれ辛い経験をしているため、多くの被災者はその感情を発露させることができない環境にあり、心理的なサポートが必要であるように見受けられた、と振り返られました。Birmingham氏は、被災者の心理的サポートをする活動をしようと自治体に申し出たところ「外国人の助けはいらない」と断られたとのことです。この経験から、ボランティア活動に対する行政の理解を得ることが大変重要、と感じられたそうです。

◆日本のマスメディアの報道姿勢について
 震災当時の日本のマスメディアの良かった点、悪かった点についても質問がありました。McNeill氏は、NHKの報道は非常に冷静で、危機感や恐怖を徒に煽るものではなかった点が良かったと指摘されました。また、震災発生直後に飛ばしたヘリコプターで上空から撮影した津波の映像は、非常にインパクトがあり、世界中で有名であると評価されました。一方、震災後、日本のマスメディアは原子力の「専門家」を連日招いては、原発の実情や想定されるリスクを語ってもらうというより、視聴者に原発への危機感や疑念をできるだけ抱かせないよう腐心しているように見えたこと、こうした姿勢からは、政府、原発業界、大手マスメディアとの間の利害関係が透けて見え、疑わしいものだったと述べました。たとえば、東電が事故発生から2か月後にようやく「メルトダウンが起こっていた」と発表して初めて、日本の大手メディアがその旨を報道したことを指摘されました。
参加者から出された「ジャーナリストの使命とは?」との質問に対して、お二人は、「事実を伝える」ことに加え、「Monitor the power(権力の監視)」が重要なミッションである、と強調。政府や企業の発表を鵜呑みにして報道するのではなく、疑わしい点があればその点を検証して報道することがメディアの使命であると強く主張されました。

◆震災後に生じた変化について
最後に、ゲストスピーカーのお二人から、参加者に対して「震災後に日本は変化したか?変化したとすればそれはどのようなものか。」という問いかけがなされました。約40人の参加者が、4,5人の小グループをつくって話し合った後、会場全体で内容を共有しました。NPOやボランティアに対する関心の高まり、「自分もいつ死ぬか分からない」との気づきから、本当にやりたい仕事への転職を決意された方のお話など、様々な変化が共有される一方、そうした社会的風潮は一時的なものにとどまっているのではないか、との指摘も出されました。

セミナー終了後、お二人の共著である「雨ニモマケズ: 外国人記者が伝えた東日本大震災」を数量限定で販売していましたが、あっという間に売り切れました。この本は、まさにその日の日経新聞において、東日本大震災のリアルな姿を、冷静に描き出している良著として、紹介されていました。

今回は土曜日の開催ということもあり、セミナー後に懇親会を開き参加者それぞれが、震災や津波を経ての想いや活動について共有し、最後まで会場は盛況でした。

今回も株式会社Click Net 社長の丸山剛様、並びに社員の皆様のご厚意で、セミナー会場として同社が主宰する「まなび創生ラボ」をお貸し頂きました。この場をお借りしてお礼申し上げます。有り難うございました。
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第2回ZESDAゼミナール:「オックスフォード・ケンブリッジ大学院の入り方」

2月25日(土)、青山オーバルビルにて第2回ZESDAゼミナールを行いました。f:id:ZESDA:20170225143451j:plain

第1回に引き続き「オックスフォード・ケンブリッジ大学院の入り方」ということで、実際にオックスフォード大学院に合格した当法人代表の桜庭から、日本の大学受験とは根本的に異なる試験への戦略について、予備校やネットで語られることの少ない情報をお話しさせて頂きました。

今後も、ZESDAゼミナールは開催予定です。残念ながらご都合の悪かったみなさま、次回以降の参加をお待ちしております。

【活動報告】キッズ・マネー・ステーション主催「2017年日本の教育は、ダイジョーブ!?」に参加いたしました。

2017年1月15日、キッズ・マネー・ステーション主催のイベント「2017年 日本の教育は、ダイジョーブ!?」にZESDAスタッフが参加いたしました。
今回は三ヶ国(アメリカ、チリ、インド)の社会人、留学生からお話を伺いました。


まずは現在JETプログラムにて日本の高校で英語を教えているアメリカ出身のアレックスさんからのお話しです。

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アレックスさんはアメリカの大学で東アジアについて学習し、マネジメントについて学ぶために一橋大学に留学されました。アメリカ人の留学率は10パーセント程度とのことです。
アメリカも日本と同様に大学入学の際に、多くの学生が教育ローンを利用しています。公立大学で年間250万円、私立大学で500万円かかるとのことです。そのため教育ローンは学生にとってかなりの負担であり、平均して270万円の負債を抱えた状態で卒業する。とのことでした。

アレックスさんが日本の高校でALT(外国語指導助手)として働いた際に驚いたことは、アクティブラーニングの違い、日本の学生が議論をほとんどせず、受け身的に授業を受けていたこと。とのことでした。

最後にアレックスさんから日本の言語教育へのアドバイスとして「アウトプットの機会を増やし、トライアンドエラーの繰り返しを受け身的授業から抜け出さないといつまでも自分の意見を話せるようにはならない。」とのことでした。


続いてチリ出身のマリセラさんです。

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マリセラさんは2009年に高校のエクスチェンジプログラムで来日されました。チリの大学に入学しましたが再び日本の早稲田大学に入学されたとのことです。
チリでは高校卒業まで同じ学校のため、同級生同士はとても仲良くなりフレンドリーな関係であるが、日本にはそれ程フレンドリーさがないとのことでした。
学費は高校までは無料。専門学校または大学は学費が必要なるため、ローンや自分でアルバイトなどしながら払うか、奨学金などを利用する。とのことです。

チリの大学では毎週テストがあり難しい。日本の大学は入るのは難しいが、入ってからは就活に時間を掛け、教育には目がいかない現状がある。
大学で経営学を学んだが、社会に出たら営業職に就いたりと、専攻と関係ない仕事に就くことが日本では多くあるが、チリでは大学で学んだことと仕事が一致するため(テクニカルスクール、プロフェッショナルスクールの充実)勉学に一生懸命である。とのことでした。

日本の教育へのアドバイスとしては「英会話をもっと授業に入れるべきである。日本人は英語を書くのも読むのも得意だけど、実際に海外に行った時に話せない。(チリでは幼稚園から英語教育が始まる)また、日本の部活動は練習、上下関係など厳しすぎる。ストレスがあり会話に支障が出てくるため、萎縮してしまい限られたコミュニケーション能力しか身につかない。」とのことでした。


続いて、インド出身のランバリ・カールティックさんです。

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カールティックさんは東京外国語大学にて1年間日本語を勉強して東京工業大学に入学されました。
色々と課題活動をこなすことが好きで、新しいことにチャレンジするのにやりがい感じている。趣味はクリケットやダンスなどであり、さらに質を高めるために練習中。とのことでした。

インドの学校では年に3回演劇など観劇し、その後生徒同士で「なぜその役が好きか?」などディスカッションをする授業や、イーラーニングに力を入れ視覚的に分かりやすい授業が行われているとのことです。

また、インドの高校ではボールド(カリキュラム)があり「国際ボールド・国立ボールド・州ボールド」と別れ、それぞれ教育内容が違うとのことです。
国際ボールドが科目数が1番多く、グローバル人材を育成するため応用力が鍛えられるとのことです。留学では国際ボールドの方が成功しやすい。とのことでした。

日本人へのアドバイスとしては「もっと課外活動に力を入れて視野を広げるべきだ。」とのことでした。


最後にキュリオ・ジャパン代表取締役の今西さんよりお話がありました。


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キュリオ・ジャパンさんでは日本の名門大学に通う優秀な留学生を子供たちと自宅で遊びべる「グローバルシッターサービス」や「親子留学」の斡旋などをされているとのことです。
異文化コミュニケーション、多様性、英語教育など、日本のグローバル化に必要な教育は、早ければ早いほど良い。そのためにその環境を作ることが大切である。と仰っていました。

私たちZESDAでも留学生や日本で働く外国籍の方と関わることが多いですが、皆さんから同様の意見を聞くことが多いです。
教育のシステムを全て変更することは難しいですが、学校とは別の場所でも子供たちや学生が早い段階から、異文化に触れ、学んだ英語を活かせる場が増えるといいのと思いました。


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今回のイベントでも貴重なご意見をたくさん伺うことができました。ZESDAの今後のイベントを企画する際に参考にさせていただきたいと思います。
また、新たな出会い、繋がりも増えました。関係者の皆様、ありがとうございました!