ZESDA's blog

日本の技術と世界のニーズをつなげるプロデューサーの支援・育成を通じて日本企業のグローバル競争力の強化を目指すNPO法人ZESDAのブログです。

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ミャンマー "アジア最後のフロンティア" ZESDA隊員視察ルポ Day1「ヤンゴンで活躍する実業家」

2016年5月3日、ミャンマー時間17時頃。ヤンゴン国際空港(Yangon international port)に、我々ZESDA隊員3名(下写真左から西川、広瀬、田中)が到着しました。

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ヤンゴンでの滞在期間は3日間。今回の渡航の目的は、実際に現地に足を運んでしか得ることのできないアイデアやビジネスの種をみつけること。92%という高い識字率、ダウェイやティラワといった経済特別区の開発、そしてタイやフィリピンを上回る経済成長率を誇るミャンマー。行動力あふれる3人が"アジア最後のフロンティア"と呼ばれるこの地の内実とその可能性に迫ります。

空港の外に出るとムアっとした熱気に包まれます。ミャンマーの2月下旬から5月中旬は「暑季」で、最も暑い時期。当初は気温が35度近くで、湿度も95%を超えています。暑さに負けてはいられないと、さっそくヤンゴン市内にある宿泊先に向かうため、目の前にいるたくさんのタクシー運転手と料金の交渉を始めます。最初にOKしかけた、タクシーの料金設定は15,000チャット(約1500円)で、即「NO」とお断り。その後何人かと交渉して、最終的に事前に見積もった7,000チャットを提示したタクシーで市内へ向かいます。

初めて見るヤンゴンの町並みは、タイやカンボジアのそれを彷彿とさせますが、トゥクトゥクは1台も見かけることはなく、モーターバイクもまばら。すれ違う車は日本製がほとんどで中古車が大半を占めています。渡航前の調査で、市内の渋滞は激しいというイメージがありましたが、時々停車することはあっても想像していたよりは混んではいませんでした。ラッキーだったのかもしれません(後に、ヤンゴンは娯楽施設が少なく敬虔な仏教徒が多いことから、夜9時を過ぎると人の数が減り交通量が激減することを知る)。空港から40分ほどでホテルに到着。あたりはすでに真っ暗で、道路沿いにあるお店のネオンサインや看板がみえます。看板はミャンマー語と英語での併記が多いです。

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ホテルに入り、荷物を整理した後に さっそくヤンゴンでお仕事されている日本人の方と会食です。場所はホテルからタクシーで10分くらいにある、シェン料理のレストラン「Shan Yoe Yar」。現地の人にも大人気で、建物や接客係の服装、屋内の装飾を見る限りファンシーなレストランのようです。

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〜会食の席にて〜

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たくさんのミャンマー料理に舌鼓を打ちながら、我々は目の前に座っている邦人と談笑中。今回、ご一緒させて頂いたいのは田村さんと今村さん。以下、簡単にですがお二方のご紹介です。

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(写真左が今村さん、右が田村さん)

田村啓(たむらけい)さん
2015年4月にミャンマーに渡り、その2ヶ月後にWillグループの現地法人を設立。主にミャンマー人向けの求人サイトの開発運営やミャンマー人を対象にした外資系企業への人材紹介を行っている。会社サイト:Dream Job Myanmar Corporate Site on Strikingly  

今村裕樹(いまむらひろき)さん
2013年頃からミャンマーでビジネスを始め、その当時働いていたシンガポールでのスタートアップで2014年からミャンマーに移住後、本格的に始動。主に電気設備の輸入販売、施工を行っている。会社サイト:Ever Glory Trading Company Limited – Yangon – Myanmar

まず、田村さんにミャンマー事情についてお訊きします。

Q. ミャンマーでビジネスを始めたきっかけ

「一言で言えば直感です。70か国を訪れた上で、行ったこともないミャンマーに惹かれました。この国に住み事業をするととにかく一度決めたから、理由を探さずとにかくやり切るまでやろうと思ってやっています。」

Q.ミャンマー人の勤務態度や性格は?

田村さん:「真面目で良い方も多いですが、日本人にとっては無責任に見える行動をとる人も少なくありません。また、これはあくまでも日本と比較してですが、無断欠勤もたまにあったりしますし、一部の社員は欠勤を咎めても繰り返したこともありました。ただ、これが毎週あるというようなことはないですし、私の会社の社員のほとんどは無断欠陥はないです。あとはよく、女性が男性よりも勤務態度がよいという話がありますが、私の目からすると、同じオフィスでは男女の勤務態度に目立った差はありません。差があるのは勤勉性です。その勤勉性が進学率の差となり、高等教育を受ける差となり、結果として優秀な人材の多くが女性である、という現象に繋がっています。よって、外資系のオフィスで働けるような男性は女性の勤務態度とあまり変わりませんが、その数が少ない、ということになります。」

Q. 家族で誰か一人が働いていれば他は働かないもしくは働くのをやめると聞いたことがありますが?

田村さん:「それが社会で一般的かというと必ずしもそうではない気がします。ただ家族で一人、ある程度稼げるメンバーがいた場合、他の兄弟姉妹はあまり働かなくても、それを許容する家族もしばしばあります。仕事を辞めて、1年くらい何もせずに過ごしている、ということもあまり珍しくはありません。」

Q.オフィス賃料について

田村さん:「過去に、数少ない小奇麗なオフィスビルは月100USD/平米を超えていた時期が最近までありました。ただ、今年になって大体60USD程度に下がってきましたが、、それでも恐ろしく高いですよね。」

Q.その他

田村さん:「ヤンゴン市内はバイクの乗り入れが法律で禁止されています。他の東南アジア諸国ではバイクやトゥクトゥクが多く見られて、ここでみかけないのはそのためです。そうですね、他には、、ここへ来るまでにたくさんの車を見かけたと思いますが、、2年くらい前までは車の底が抜けているぼろぼろの車ばかりだったんです。ただ、関税を含む輸入規制そのものが緩和されたこともあり、車の質が格段によくなっています。」

続いて今村さんにお訊きします。

Q.ミャンマーでビジネスを始めた年月日とそのきっかけ

今村さん:「きっかけはアジアにしばらく住んでみたいと思ったからです。当時シンガポールで会社員として働いていました。シンガポールでの生活、仕事には非常に満足しておりずっとシンガポールに住むのもいいなと思っていました。ただビザの取得が難しくなったり、10年、20年先もサラリーマンという立場でシンガポールに住み続けるのは難しいなと思っていました。"自分の好きな場所に住みたい"という想いを形にするのは起業という手段が最適なのかなと思い、その時から起業を検討し始めました。ただシンガポールは成熟市場で起業は容易ではなさそうだったので近隣の東南アジア諸国での起業を考えていました。自分で月一回の海外視察を実施し、最もポテンシャルを感じたのがミャンマーでした。丁度国が開かれ始めた年でした。この国でビジネスをしてみたい、そう思ったのが最初のきっかけです。二つ目のきっかけはシンガポールの会社の同僚がミャンマー人で彼と始めた副業(ミャンマーに日本の医療機器を販売)が上手くいき、一緒にビジネスをやろうと意気投合したことです。彼が今の会社のパートナーです。」

Q.仕事内容

今村さん:「主に電気設備の輸入販売、施工ですが、具体的には防災設備、防犯設備、通信機器などの製品を工場、ホテル、商業施設などへの設置をしております。今は日本とミャンマー政府が共同で出資しているティラワ経済特区などの日系の工場向けの仕事が多いです。」

Q. ミャンマーでビジネスをするうえでの障壁

今村さん:「最大の障壁は感覚の違いですね。ミャンマーは長年鎖国状態だったので違いがかなり大きいです。小手先の仕事は教えればどうにかなりますが、感覚の違いは長年の生活を通して身につくものなので容易には教えることができません。弊社の仕事は物を売るだけでなく機器の取り付けを行うところまでが仕事です。日本では当たり前に照明やエアコンが真っすぐきれいに設置されていますがミャンマーでは取り付けの際に斜めになったり、部屋ごとに取り付け方が違っていたりと精度が高くありません。ミャンマー人からすると「使えるからいいじゃん」という感覚ですが、外国人相手の仕事では通用しません。何がきれいな設置かという感覚を教えるのは相当な時間と経験が必要です。」

Q. 今後やりたいこと

今村さん:「私の人生の目標は好きな時に好きな場所に住むということなのでミャンマーに限らず住みたい国が見つかればその国でまた起業をしてみたいと思います。」


話に熱中しすぎて、あっという間に時間になりました。
田村さん、今村さんのお話はここでは書ききれないほどまだまだたくさんあり、どれもとても刺激的な内容ばかりでした。
はるばる日本からやってきて、不慣れな環境でありながらも、情熱をもってビジネスをされているお二人のその姿はとてもかっこよく写っていました。田村さん、今村さん、お忙しい中、本当にありがとうございました。

このような具合で、初日からとても充実した日となりました。
明日も別件での会食、そして突撃調査など盛りだくさんの一日となります。楽しみです。Day2へと続く。

Day2 「突撃調査」
zesda.hatenablog.com

ミャンマー "アジア最後のフロンティア" ZESDA隊員視察ルポ Day2「突撃調査」

2日目の朝。

昨日はあたりが暗くなってからの到着だったので、初めてヤンゴンの街並みを見通します。緑や赤色屋根のおしゃれな建物が見受けられる一方で、老朽化した建物があちこちで目につきます。

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朝食を終えた我々ZESDA隊員は、さっそく「突撃調査」のためにヤンゴン最大のスーパーマーケットであるJunction Squareに向かいます。

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まずは現地商品の価格調査です。到着後、さっそく商品一つ一つの価格を調べ、メモを取っていきます。途中、女性店員が怪訝な顔でこちらを見ているのに気づきましたが、「商品を見ながらメモをとる人なんて普通はいないから無理はない」と調査を継続。すると奥からなんと男性の警備員がでてきて、携帯での撮影や値段を記録するのはやめるように言われた。警備員さんの真剣な眼差しと固い表情から「これはやばい」と思って、調査を断念することに(我々を流通業者と思ったのかもしれません)。
続いて、通りすがりの人に予め用意した質問に答えてもらうインタビューを開始。まさに突撃インタビューで、受けてくれそうな人がいると構わずアタック。断られることもありましたが、快諾してくれた人はやさしく丁寧に対応してくれました。なかでも、20代の男性の方が「お金持ちになったらミャンマーのmotherless childrenを支援したい」と言っていたのがとても印象的でした。また、調査中に停電がありびっくりしたのですが、もっと驚いたのは、現地の人が慣れているのか、動揺せずに食事を続けていました。停電はその後も何度かありましたが、結局慣れずじまいでした。。

お昼が近づき、Junction Squareを後にした我々は、証券市場関係者との会食のためにとあるホテルに向かいます。だいぶ余裕をもって向かったつもりだったのですが、まさかの大交通渋滞に遭遇。昨日の夜とは”訳が違う”車の数で、「ごった返す」という言葉が相応しい情景が目の前に広がっています。ホテルが目と鼻の先にあるにも関わらず一向に進まない車の列。結果、待ち合わせに遅れてしまいました。関係者の方はそんなのはいつものことだと仰っていましたが、それにしても異常な交通量でした。。

会食で出たお話の一部が以下です。

•渋滞は本当にひどく、家からオフィスまで1時間半かかることもある。
•優秀な人材を入手しづらい。
•最近の若者は月収1000$U(ミャンマー人の平均月収は約300$U)以上を求めてくることがある。
•過去数度銀行が破綻したこともあり、現金に対しての信頼は高くない。
•昨今設立された証券取引所は年数が短いこともあってあまり認知されていない。


会食後、ホテルに戻り、一息ついた後、インタビューの続きをするために、ヤンゴン大学へと移動。ヤンゴン大学は1920年創立のミャンマーで最も歴史のある大学。学生数は大学生・院生合わせて約5000人。学部は歴史、法律、心理学、哲学、国際関係、コンピュータ・サイエンスなど多岐にわたり、ほとんどの学部で修士、博士への道が開かれています。キャンパスは巨大。車道もあります。

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そんな大きな大学で、かつ平日ということでたくさんの学生がいることを想像していたが、実際にキャンパスに入ってみると、人を見つけるのが難しいくらいにがらんとしている(平日と言ったけれども国民の祝日だったのかもしれないが、、)。それに、学生だけでなく、家族連れや作業服を着たおじさん集団など一般の方も見かけた。彼らはキャンパスにあるカフェ(カフェといっても屋台のような簡易なもの)を利用しに来ているようで、ヤンゴン大学が一般人にもオープンで開放的であることを印象づけてくれる。

かれこれ20分くらい歩いているが、学生らしき人になかなか巡り会えない。ただ、散策する中でEconomics, Convocation Hall, Arts, Oriental Studies, Georgraphyといったいろんな学部の校舎を通り過ぎた。外から見ててもつまらないので中に入って進んでいくと、先が見えないほど長い廊下?があったり、明らかに民家のような建物があったり。冒険しているようでとてもワクワクしてきます。

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ただ、やはり学生が見当たらなかった(かつ猛暑で数分動くだけでもヘトヘトだった)ので自由な散策をやめ、学生がいそうな場所を立ち止まって考えることに。数分考えて、思い当たった場所が図書館。good idea!。近くにいた人に尋ねて連れて行ってもらいます。

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図書館に着いて中に入ると、予想通り、学生らしき人が何人かいました。すぐさま声をかけて、承諾を頂き、インタビューシートに記入してもらうことに成功。その他学生や、図書館のスタッフさんにも記入して頂きました。インタビューシートはすべて英語で書かれていましたが、協力してくれた人は臆することなく、かつわからないところは英語で話しかけてきたりしてスムーズに進めることができました。数時間ほど滞在して、協力してくれた方は10人弱。このインタビューで一番印象に残ったことは「What would you do if you became a millionaire?(もし億万長者になったら何をしたいですか?)」という質問に対して、「donation(寄付)」と答えた方が多かったことでした。我々が元々想定していた答えとは異なるもので、お金を自分のためではなく、人のため、社会のために使いたいというミャンマー人の温かい国民性を感じた瞬間でもありました。

その後、再度Junction Squareに向かって、インタビューを継続。フードコートにあるロッテリアの空いたテーブルを陣取って、協力してくれそうな人を見つけると突撃アタック。協力してくれた人にはもれなくうまい棒を1本プレゼントしました。みんなうまい棒を知っているからなのかそれほど喜んではいませんでしたが(笑)。インタビューも終盤に差し掛かったとき、協力して頂いた超筋肉質の男性が、彼の妹を呼び、妹がお母さんを呼び、お母さんがおばあちゃんを呼びという流れで、最終的に家族ぐるみで協力してくださりました。みなさんとても陽気で仲がよくとても癒やされました。以下はそのときに撮った集合写真です。ご協力本当にありがとうございました。

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それから数十分ほど滞在し業務を終了。今日で計約20名近くの方からインタビューすることができました。後日の集計でどんな結果が出るのか楽しみにしながら、明日のティラワ視察に備えます。Day3へと続く。

Day3 「ティラワ視察」
zesda.hatenablog.com

ミャンマー "アジア最後フロンティア" ZESDA隊員視察ルポ Day3 「ティラワ視察」

5月5日、朝の8時。

今日、終日案内をしてくれるタクシーのお兄さんがホテルの前で我々をピックアップ。目指すはティラワです。

ティラワとは、ヤンゴンのティラワ港に隣接するティラワ経済特別区(Thilawa Special Economi Zone)のことです。日本の企業とミャンマー政府&企業が出資しており、総開発面積は約2,400ha(東京ドーム500個分)。そのうちクラスAと呼ばれる先行開発区域は日本の総合商社等から構成されるMyanmar Japan Thilawa Development Ltd (MJTD)が開発を担っています。2014年からすでにクラスAの販売が開始され、すでに22社(うち日系企業が12社)が契約締結に至っています。 f:id:ZESDA:20160723110909p:plain:w400:h300

ティラワまでは、タクシーで1時間ほど。ヤンゴンの郊外を見られるということで内心エキサイティングな三人。都心から10分もしないうちに、大きなビル群が消え、小さな個人露店や住居、更に進むと遠くを見渡せるほどの更地が目に入ってくる。

都市部とはまったく異なる風景だ。途中、牛の群れなどもいた。ティラワまでの所要時間が近づくにつれ、車窓からは石油工場や、高く積み上げられたコンテナが目に入ってきた。まさに、「開発」を彷彿とさせる光景だ。

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それから数分ほどして、右手に”Myanmar International Terminals Thilawa”と大きく書かれた関門が見えてきた。車から下りて当たりを見渡すと、重機やコンテナなどの物資を積んだダンプトラックの往来が激しく、郊外と思えないほど異様な熱気と喧騒に包まれている。

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門のほうへ近づいていくと、車の通過を取り仕切る人がいて、中に入れないか尋ねたところ、「通門証やアポがなければ通過はできない」と言われた。門の先にはたくさんのコンテナやコンテナを運ぶ重機、自動車などが見えた。押しを強くしてもう一度懇願してみたが、先ほどと同じ回答を繰り返される。これ以上何もできないと判断した我々は、車に戻り次の目的地を目指すことに。


もうすでに都市部からかなり離れたところにいたが、さらに奥へと進んでいく。走りだして10分くらいしただろうか、”THILAWA SPECIAL ECONOMIC ZONE”と表記のある、大きな白塗りの関門が見えてきた。

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左手を見ると、日本国旗、ミャンマー国旗、そして"MJTD"と書かれた旗が風になびいている。どうやらここが我々の目指していた「ミャンマー・ティラワ経済特別区」であるらしい。
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関門の出入り口は二つで、門衛は4人ほど。先ほどは入れなかったので、今回はと意気込んで向かっていくと、門の右端に歩行者用の通路があり、中に入ることに成功。入った先に見えたのは、広大という言葉だけでは言い表わせれないほどの超巨大な敷地。中央に道路が走っているが、長すぎて先が見通せません。

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敷地には横長の工場のような建物がいくつもあります。最初に出くわしたのはこの経済特区の本部と思わしき建物。

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入り口の柵は固くしめられており、中に入れる気配がなかったので更に歩を進める。時は昼前ではあったが、すでに気温が35度近くもあり、数分も歩かなうちに汗だくになり一歩一歩が重くなる。もうこれ以上遠くには行けないと判断し引き返そうとしたが、「見て終わり」という結果には終わらせたくなかったので、どこか少しでも入れるところがないか必死に探す。その折、右斜め前方に柵が開け放たれた工場を見つけた。

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「LUTHAI TEXTILE」という表記がある。門の近くには守衛がおり、中を伺っていると明らかに疑いの目でこちらを凝視してくる。どうしても中に入りたかった我々は、「日本が投資している区域なのだからパスポートを見せればいけるだろう」という安易な考えのもと、スパっと自信満々にJAPAN PASSPORTを守衛に見せる。緊張の瞬間だったが、守衛はなんと「OK」のサインを出してくれた。興奮を抑えきれずに敷地の中に入っていく。目の前に現れたのは、2階建ての真っ白な建物(人聞きは悪いが、刑務所を彷彿とさせる)で、窓は格子で囲まれている。

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更に進むと格子窓のない建物があり、人の気配を感じる。建物に近づいていくと、いきなり「ワン!」と四方から吠えられる。振り返ると、なんと4匹のかなり凶暴そうな番犬が白い歯をむき出しにして、こちらに向かってきているではないか。「やばい、終わった、、」と絶望感に苛まれながらも、ありったけの力を振り絞って、ゆっくり、ゆっくりと建物から遠ざかる。20秒くらい後ずさりを続けると、番犬はそれ以上付いてくることを止めた。なんとか難を脱した、と思ったのもつかの間、建物から一人の男性が怪訝な表情を浮かべて出てきた。「君たちはここで何してるの?」という質問に対し、「えっと、、我々はZESDAというNPO法人で、日本の企業の海外進出のサポートをしており、そのためのアドバイスが頂きたいのですが。あと、日本の力を入れているティラワの実際についても教えて頂きたいです」と回答。これで無理なら諦めようと思っていた矢先、なんと工場の紹介や案内をして頂けるらしい。まさかこんな展開になるとは誰も思っていなかったので、うれしい気持ちはありながらも「本当にいいの?!」という感覚。その後は、会議室のようなところでティラワや工場についての説明とQ&A。

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その後、実際の工場を案内して頂く。ドアを開けた瞬間、目に飛び込んできたのは広大なスペースとミシンと人。赤色のポロシャツを着た女性が縦横にズラッと並んで座り、目の前に置かれたミシンを使って熱心に裁縫に打ち込んでいる。

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場内を回りながらも、就業形態や賃金などについて説明頂きました。

工場で見聞したことをまとめたものの一部が以下です。

•工場では約800名の女性(20-21)歳が、月150$程度の賃金で働く
•男性より女性の方が細かい作業が得意であるため、裁縫作業はすべて女性
•工場で作成したシャツやスーツはミャンマーから中国や東南アジア諸国へ輸出する
•各種手続きが政府に承認される期間が長く、時間がかかる
•ティラワについて言えることであるが、労働者の勤務時間管理などが徹底されており、
毎週報告が必要
•停電の多さ、交通渋滞による物流網の未整備が深刻。停電が頻発すると工場操業
にも影響を及ぼす


アポなしの突撃で訪れたのにも関わらず、優しく丁寧に対応して頂いたLUTHAI TEXTILEの張偉氏(下写真の右から3番目)には本当に感謝しています。

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当初予定していた「ティラワ視察」はこの思いがけない機会によってより充実したものになりました。

本日の「業務」を終えた後、我々はボジョ−アウンサンマーケットやNight marketを散策する。Night marketでは果物が豊富に取り扱われており、どれも安く新鮮でおいしかった。

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この3日間の滞在はあっという間でした。たくさんの素晴らし方との出会いと体験の数々。心に残る体験はいくつもありましたが、その中でも個人的に最も印象深かったのが、ミャンマーの方がモノを片手で渡す際に、もう片方の手を必ず肘下に添えていたことです。Day2で出会った筋肉質のミャンマー人男性はこのことについてこう仰っていました。「人に物を渡すときは両手で渡すのが礼儀の基本です。ただ、状況によっては片手で渡さざるを得ないときがあります。そのときは物をもっている手にもう一方の手を添えてあげます。我々にとってはこれも礼儀の一つなんです。」筆者はこれを日本に帰ってからも実践することを誓い、今も続けております。

帰国の際の空港で「名残惜しい」という言葉が我々の頭から離れない。またぜひ戻ってきたい。我々ZESDA隊員3人は小さな達成感に浸りながらも、入り混じった気持ちの中で、帰国の途につく。

〜視察を終えて〜

我々がこの視察を通して感じたことを以下の5つにまとめてみました。

・現金主義が強く、銀行への信頼度は低い。
・渋滞などの影響により、物流網が安定していない。
Facebookを始めとしたSNSの利用が多いこと。
・教育系のスマホアプリに比較的興味があること。
・寄付を始めとした利他心が強く、自国の将来に希望を持っていること。

今現在、我々は上記を含めた調査結果をまとめ、具体的なビジネスアイデア創出に向けて活動を続けており、今後、講演やセミナーなどでその内容を発表予定です。またこの視察を皮切りに、ミャンマーだけでなく他国の調査にも着手しております。アイデアを生み、実際のビジネスにつなげ、新規雇用を創出する。このミッション遂行に向けて、ZESDAは今後もチャレンジを続けていきます。