ZESDA's blog

グローカルビジネスをプロデュースする、パラレルキャリア団体『NPO法人ZESDA』のブログです。

プロデューシング・システムを創ることで、日本経済の活性化を目指す、NPO法人ZESDAのブログです。


春蘭の里訪問(2/25-26)

我々ZESDAは、グローカリゼーション等による地方創生支援実施に向けた事前調査の一環として、石川県能登町の「春蘭の里」を訪問し、オーナーの多田ご夫妻、並びに青年部会の方々と交流して参りました。

春蘭の里とは、地域(集落)の活性化を通じて、故郷や自然を愛し、利己主義ではない個人主義(個々、人が全て良くなることを願う)に基づく、老若男女にとって魅力溢れる故郷作りを目的とした地域創生プロジェクトです。

里のキャッチフレーズ「きっと見つかるはず・・・あなたの探し物」に惹かれ、金曜日の夜、有志のメンバーで夜行バス、列車に乗り、能登半島に向かいました。

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【1日目】
・宮地交流宿泊所「こぶし」にてランチ

 「こぶし」とは、小学校の跡地を改装した宿泊施設で、学生を含めた多くの自然体験観光者に利用されています。観光者同士の交流の場となっており、皇太子殿下も視察に訪れています。小学校時代を回想しながら、美味しい山の幸を食し、とても懐かしく新鮮な体験でした。

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・多田様と合流、薪割り体験
 とてもエネルギッシュな多田様と合流し、森へ。森に入ると、チェーンソーと学生の歓声が鳴り響いていました。

 我々もチェーンソーでの樹木切断、薪割りに挑戦しました。
男性陣が顔を真っ赤にしながら空振りを繰り返すなか、女性陣が淡々と薪を割っていました。

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・五右衛門風呂体験
 薪割り体験後、自分たちで割った薪を使って五右衛門風呂体験をしました。男性陣の頑張りも虚しく、とてもぬるい湯でしたが、そのお湯に浸かりながらの会話はとても楽しいものでした。

自治体・春蘭の里青年部の方々との意見交換
 夕食を待ちながら、学生たちが宿泊する民家で、囲炉裏を囲んで団欒しました。多田様や自治体の方、春蘭の里青年部の方から、それぞれの春蘭の里への想いと将来像についてヒアリングをさせていただき、我々ZESDAによる支援のヒントを得ることができました。

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・多田夫妻との懇親会・意見交換
 いよいよ夕食。野菜とキノコをメインとした料理で、とても美味しく、実はキノコ嫌いの僕でも美味しくいただくことができました。
夕食をとりながら、多田様の奥様にZESDAの活動を紹介し、メンバーそれぞれの活動への想いをお伝えしました。
 そして、多田様が登場。お酒を交わしながら、春蘭の里を始めた経緯や、ご自身が感じている里の課題、将来の夢を語っていただきました。
 我々からも春蘭の里支援に向けた考え方を伝え、今後本格的にサポートをさせていただくこととなりました。
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【2日目】
・多田様所有の海の家を視察

 多田様に、宿泊施設の一つとして一棟貸しで使われている海の家を見せていただきました。3階建のとても広い古民家で、2階、3階からは海が望め、まるでジブリ映画「千と千尋の神隠し」で竜と化したハクが銭婆に追われて逃げ込んだ従業員寮のような風景でした。

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・リノベーション予定地、食品加工工場の視察
海の家の訪問後、宿泊施設やカフェにリノベーション予定の空き古民家を訪問しました。また、食品加工工場では、お菓子や漬物の製造工程や管理方法を拝見しました。

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【所感】

 第一回目の春蘭の里への訪問は、オーナーである多田ご夫妻や青年部、自治体の方々との交流を深めることができ、非常に有意義なものとなりました。さらに、薪割り体験やリノベーション予定となっている古民家の訪問を通して、ごく一部ながらも春蘭の里の魅力を体感することができました。

 今回の交流をきっかけに、今後春蘭の里の発展に貢献していきたいと考えています。

 次回の訪問が非常に楽しみです!

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Ms. Lucy Birmingham & Dr. David McNeill より 「3.11 Disaster - 6 Years on - Foreign Journalists' View(3.11 大震災から6年~外国人ジャーナリストの視点~)」 Platform for International Policy Dialogue (PIPD) 第33回セミナー開催のご報告

NPO法人ZESDAは、「官民恊働ネットワークCrossover」(中央省庁の若手職員を中心とする異業種間ネットワーク)との共催、株式会社クリックネット まなび創生ラボ株式会社自由が丘パブリックリレーションズの協力により、在京の大使館、国際機関や外資系企業の職員、及び市民社会関係者をスピーカーに迎え、国内外の政治・経済・社会問題について英語での議論を通じて理解や問題意識を高める、「Platform for International Policy Dialogue (PIPD)」を開催しています。

3月11日(土)に開催した第33回PIPDセミナーは、Lucy Birmingham氏とDavid McNeill氏のお二人をゲストスピーカーとしてお招きしました。お二人は日本で活躍するジャーナリストで、TIME誌を始めとする様々な雑誌、新聞に記事を掲載されており、東日本大震災の時も多岐にわたる取材活動を展開、いち早く東京電力福島第一原子力発電所を含む東北3県の被災地を訪問し、地震津波の被害を受けた様々な方々から当時の経験やその後の想いについて丁寧な取材を重ねてきました。そして、2016年12月に、その中から特に6人の方のストーリーをまとめた「雨ニモマケズ: 外国人記者が伝えた東日本大震災」という本を共著で出版されています。

東日本大震災から6年目となるこの日、お二人からは「雨ニモマケズ」で取り上げたストーリーを中心に、「3.11 大震災から6年~外国人ジャーナリストの視点~」をテーマにお話しいただきました。

満員御礼となったセミナーの冒頭では、参加者皆で、震災の犠牲になった方々や被災地の方々に想いを馳せるべく、1分間の黙祷をささげました。そのうえで、スピーカーのお二人は、非常に印象的な写真とともに、共著「雨ニモマケズ」の登場人物である6人の方々を紹介してくださいました。

◆1人目:桜井南相馬市
まず、McNeill氏から南相馬市長の桜井勝延氏が紹介されました。南相馬市では、人口のほとんどが域外に避難し、お年寄りや貧しくて車が無い人々だけが取り残されました。そして、様々な物資が不足しているにもかかわらず、原発からの距離が近い南相馬市にはメディアが入らず、その窮状が伝えられることはありませんでした。そこで、桜井市長はYouTubeで窮状を訴え、助けを求めることで、この難局を乗り越えました。

◆2人目:相馬市の漁師、イチダさん
McNeill氏は続いて漁師のイチダさんを紹介されました。地震発生直後、多くの漁師は津波の到来を予想し、船で沖に出ようと試みました。なかには間に合わず、港付近で高さを急激に増す波に飲まれて亡くなった方も少なくありません。イチダさんも同じように船に乗り、高さを増した波頭をぎりぎりで乗り越え、危機を逃れました。McNeill氏は、「イチダさんから、震災・津波の体験を語ってもらうのは簡単ではなかった」と振り返ります。何度も断られながらも繰り返し接触したのちに「一度だけなら話す。ただ、一度きりだ」との条件で話をしてくださったそうです。この点について、アイルランド出身のMcNeill氏は、「アイルランド人漁師は自分の経験を何度も繰り返し話したがるし、その話は繰り返す度に誇張されていくものだ」とお話ししながら、日本の漁師との気質の違いを感じた、というお話をされました。

◆3人目:福島第一原発で働くワタナベさん(仮名)
McNeill氏から、3人目として原発で働く20代の若者、ワタナベさん(仮名)が紹介されました。ワタナベさんとは、駐車場で偶然出会ったそうです。ワタナベさんは双葉町で育ち、父親原発で働いていたそうです。原発事故後、ワタナベさんは既に避難していましたが、使命感から発電所に戻り、危機対応に当たったそうです。しかし、非常に危険な仕事にもかかわらず、賃金は事故直後の最も線量が高かった時期でも月給40万円、その後は30万円程度と、十分とは言えない水準であったことを紹介されました。

◆4人目:夫をなくした陸前高田市のセツコさん
Birmingham氏からは、まず辛い経験を共有してくれる人を探すことは非常に困難であったことが話されました。McNeill氏が紹介した漁師のイチダさんが多くを語りたがらないように、トラウマ的な体験や親族の喪失といった悲しい経験をした方は、そのことについて喜んで話すということは当然ありません。

4人目として紹介されたセツコさんも、夫を津波によって亡くし、また、そのご遺体も中々見つからなかったそうです。震災一週間後、セツコさんはご主人のご遺体と学校の体育館で対面、その体は綺麗に洗われた後、火葬されました。Birmingham氏は、アメリカでは遺族であっても遺体を直接看取ることはなく、そのまま葬ることから、日本との文化の違いを感じた、と話されました。

◆5人目:東松島市の小学校教師、デイビット・チュムレオンラートさん
Birmingham氏は次にテキサス州出身のタイ系アメリカ人の小学校教師、デイビット・チュムレオンラートさんのストーリーを紹介されました。当時、体育館に多くの人々が避難していましたが、津波は体育館に浸水、水位は3メートル以上の高さにある時計のところまで迫ったそうです。避難していた方々は、体育館の2階部分にあるバルコニーにしがみつき、何とか難を逃れたそうです。チュムレオンラートさんは、当時の様子について一度メディアからインタビューを受けたそうですが、珍しい外国人被災者ということもあって、その後取材の依頼が殺到したことから、漁師のイチダさんと同じようにそういった露出を避けるようになったとのことです。しかし、Birmingham氏は知り合いの伝手でチュムレオンラートさんとコンタクトをとることができ、お話を聞くことができたそうです。

◆6人目:荻浜町の18歳(当時)サイトウさん
最後に、Birmingham氏は、震災前に家があった場所に立つサイトウさんの写真を紹介されました。サイトウさんの兄と母は、津波に飲まれながらも、かろうじて脱出し助かりましたが祖父を亡くされたそうです。当時サイトウさんは、東北大学への入学が決まっていましたが、家や財産を無くしたため、無事に進学できるかどうか非常に心配だったそうです。しかし、東北大学から金銭的な支援が得られ、無事に入学することができたそうです。卒業後はロボット研究の道に進み、高齢者の運動をサポートするロボットの研究・開発に取り組まれているそうです。

◆震災時の取材活動について
震災、特に福島第一原発周辺に関する取材活動は、多々困難があったそうです。当時、政府は原発及び周辺地域の取材活動を強く規制していました。また、情報開示も不十分であったように感じた、とのことです。
McNeill氏は外国人記者に取材許可を出さない政府や東電に対して、「放射能の問題は日本だけでなく、世界の問題である」と主張し、取材許可を強く求めたそうです。McNeill氏が事故発生直後に自らサイトを訪問した際に撮影した原発の写真の一つである、ロッカールームに敷き詰められた布団の写真からは、当時、原発作業員の方々がおかれていた厳しい勤務環境を窺い知ることができます。
また、飯舘村で取材したある農家の写真も見せていただきました。震災によって畑や家畜を失い、それまで何代にもわたって築いてきた生活は一瞬にして破壊されてしまいました。McNeill氏は、その農家の主であるショウジさんの話を、涙なしに聞くことはできなかったとのことです。

会場からは、震災時の取材時に意識していること、心に留めていたことについて質問がありました。

お二人は、「一度で全て聞くことはできない。トラウマ的な経験をしている方はその経験について話したがらない。だから何度も足を運び、少しずつお話を聞いていくことが大事だ」、「敬意をもって接することが大切だ」と答えられました。
さらに、Birmingham氏は、避難所ではそれぞれの家族がそれぞれ辛い経験をしているため、多くの被災者はその感情を発露させることができない環境にあり、心理的なサポートが必要であるように見受けられた、と振り返られました。Birmingham氏は、被災者の心理的サポートをする活動をしようと自治体に申し出たところ「外国人の助けはいらない」と断られたとのことです。この経験から、ボランティア活動に対する行政の理解を得ることが大変重要、と感じられたそうです。

◆日本のマスメディアの報道姿勢について
 震災当時の日本のマスメディアの良かった点、悪かった点についても質問がありました。McNeill氏は、NHKの報道は非常に冷静で、危機感や恐怖を徒に煽るものではなかった点が良かったと指摘されました。また、震災発生直後に飛ばしたヘリコプターで上空から撮影した津波の映像は、非常にインパクトがあり、世界中で有名であると評価されました。一方、震災後、日本のマスメディアは原子力の「専門家」を連日招いては、原発の実情や想定されるリスクを語ってもらうというより、視聴者に原発への危機感や疑念をできるだけ抱かせないよう腐心しているように見えたこと、こうした姿勢からは、政府、原発業界、大手マスメディアとの間の利害関係が透けて見え、疑わしいものだったと述べました。たとえば、東電が事故発生から2か月後にようやく「メルトダウンが起こっていた」と発表して初めて、日本の大手メディアがその旨を報道したことを指摘されました。
参加者から出された「ジャーナリストの使命とは?」との質問に対して、お二人は、「事実を伝える」ことに加え、「Monitor the power(権力の監視)」が重要なミッションである、と強調。政府や企業の発表を鵜呑みにして報道するのではなく、疑わしい点があればその点を検証して報道することがメディアの使命であると強く主張されました。

◆震災後に生じた変化について
最後に、ゲストスピーカーのお二人から、参加者に対して「震災後に日本は変化したか?変化したとすればそれはどのようなものか。」という問いかけがなされました。約40人の参加者が、4,5人の小グループをつくって話し合った後、会場全体で内容を共有しました。NPOやボランティアに対する関心の高まり、「自分もいつ死ぬか分からない」との気づきから、本当にやりたい仕事への転職を決意された方のお話など、様々な変化が共有される一方、そうした社会的風潮は一時的なものにとどまっているのではないか、との指摘も出されました。

セミナー終了後、お二人の共著である「雨ニモマケズ: 外国人記者が伝えた東日本大震災」を数量限定で販売していましたが、あっという間に売り切れました。この本は、まさにその日の日経新聞において、東日本大震災のリアルな姿を、冷静に描き出している良著として、紹介されていました。

今回は土曜日の開催ということもあり、セミナー後に懇親会を開き参加者それぞれが、震災や津波を経ての想いや活動について共有し、最後まで会場は盛況でした。

今回も株式会社Click Net 社長の丸山剛様、並びに社員の皆様のご厚意で、セミナー会場として同社が主宰する「まなび創生ラボ」をお貸し頂きました。この場をお借りしてお礼申し上げます。有り難うございました。
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第2回ZESDAゼミナール:「オックスフォード・ケンブリッジ大学院の入り方」

2月25日(土)、青山オーバルビルにて第2回ZESDAゼミナールを行いました。f:id:ZESDA:20170225143451j:plain

第1回に引き続き「オックスフォード・ケンブリッジ大学院の入り方」ということで、実際にオックスフォード大学院に合格した当法人代表の桜庭から、日本の大学受験とは根本的に異なる試験への戦略について、予備校やネットで語られることの少ない情報をお話しさせて頂きました。

今後も、ZESDAゼミナールは開催予定です。残念ながらご都合の悪かったみなさま、次回以降の参加をお待ちしております。

【活動報告】キッズ・マネー・ステーション主催「2017年日本の教育は、ダイジョーブ!?」に参加いたしました。

2017年1月15日、キッズ・マネー・ステーション主催のイベント「2017年 日本の教育は、ダイジョーブ!?」にZESDAスタッフが参加いたしました。
今回は三ヶ国(アメリカ、チリ、インド)の社会人、留学生からお話を伺いました。


まずは現在JETプログラムにて日本の高校で英語を教えているアメリカ出身のアレックスさんからのお話しです。

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アレックスさんはアメリカの大学で東アジアについて学習し、マネジメントについて学ぶために一橋大学に留学されました。アメリカ人の留学率は10パーセント程度とのことです。
アメリカも日本と同様に大学入学の際に、多くの学生が教育ローンを利用しています。公立大学で年間250万円、私立大学で500万円かかるとのことです。そのため教育ローンは学生にとってかなりの負担であり、平均して270万円の負債を抱えた状態で卒業する。とのことでした。

アレックスさんが日本の高校でALT(外国語指導助手)として働いた際に驚いたことは、アクティブラーニングの違い、日本の学生が議論をほとんどせず、受け身的に授業を受けていたこと。とのことでした。

最後にアレックスさんから日本の言語教育へのアドバイスとして「アウトプットの機会を増やし、トライアンドエラーの繰り返しを受け身的授業から抜け出さないといつまでも自分の意見を話せるようにはならない。」とのことでした。


続いてチリ出身のマリセラさんです。

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マリセラさんは2009年に高校のエクスチェンジプログラムで来日されました。チリの大学に入学しましたが再び日本の早稲田大学に入学されたとのことです。
チリでは高校卒業まで同じ学校のため、同級生同士はとても仲良くなりフレンドリーな関係であるが、日本にはそれ程フレンドリーさがないとのことでした。
学費は高校までは無料。専門学校または大学は学費が必要なるため、ローンや自分でアルバイトなどしながら払うか、奨学金などを利用する。とのことです。

チリの大学では毎週テストがあり難しい。日本の大学は入るのは難しいが、入ってからは就活に時間を掛け、教育には目がいかない現状がある。
大学で経営学を学んだが、社会に出たら営業職に就いたりと、専攻と関係ない仕事に就くことが日本では多くあるが、チリでは大学で学んだことと仕事が一致するため(テクニカルスクール、プロフェッショナルスクールの充実)勉学に一生懸命である。とのことでした。

日本の教育へのアドバイスとしては「英会話をもっと授業に入れるべきである。日本人は英語を書くのも読むのも得意だけど、実際に海外に行った時に話せない。(チリでは幼稚園から英語教育が始まる)また、日本の部活動は練習、上下関係など厳しすぎる。ストレスがあり会話に支障が出てくるため、萎縮してしまい限られたコミュニケーション能力しか身につかない。」とのことでした。


続いて、インド出身のランバリ・カールティックさんです。

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カールティックさんは東京外国語大学にて1年間日本語を勉強して東京工業大学に入学されました。
色々と課題活動をこなすことが好きで、新しいことにチャレンジするのにやりがい感じている。趣味はクリケットやダンスなどであり、さらに質を高めるために練習中。とのことでした。

インドの学校では年に3回演劇など観劇し、その後生徒同士で「なぜその役が好きか?」などディスカッションをする授業や、イーラーニングに力を入れ視覚的に分かりやすい授業が行われているとのことです。

また、インドの高校ではボールド(カリキュラム)があり「国際ボールド・国立ボールド・州ボールド」と別れ、それぞれ教育内容が違うとのことです。
国際ボールドが科目数が1番多く、グローバル人材を育成するため応用力が鍛えられるとのことです。留学では国際ボールドの方が成功しやすい。とのことでした。

日本人へのアドバイスとしては「もっと課外活動に力を入れて視野を広げるべきだ。」とのことでした。


最後にキュリオ・ジャパン代表取締役の今西さんよりお話がありました。


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キュリオ・ジャパンさんでは日本の名門大学に通う優秀な留学生を子供たちと自宅で遊びべる「グローバルシッターサービス」や「親子留学」の斡旋などをされているとのことです。
異文化コミュニケーション、多様性、英語教育など、日本のグローバル化に必要な教育は、早ければ早いほど良い。そのためにその環境を作ることが大切である。と仰っていました。

私たちZESDAでも留学生や日本で働く外国籍の方と関わることが多いですが、皆さんから同様の意見を聞くことが多いです。
教育のシステムを全て変更することは難しいですが、学校とは別の場所でも子供たちや学生が早い段階から、異文化に触れ、学んだ英語を活かせる場が増えるといいのと思いました。


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今回のイベントでも貴重なご意見をたくさん伺うことができました。ZESDAの今後のイベントを企画する際に参考にさせていただきたいと思います。
また、新たな出会い、繋がりも増えました。関係者の皆様、ありがとうございました!

産学連携が成功するための条件とは何か 〜イノベーションと企業家(アントレプレナー)、その可能性の中心〜

先週、政策研究院大学にて、2月20日(月)の18:30より、研究イノベーション学会・主催、ZESDA・共催により、第3回 ブロデューサーシップ論と実践(“個人・若者・女性活躍時代”「プロデューサーシップ論」講座)が開催されました。

産学連携の現状と問題点、その可能条件等について、伊藤正実先生(群馬大学研究・産学連携推進機構教授)と、西村吉雄先生(元日経エレクトロニクス編集長)の両先生をお迎えし、大変貴重なお話を賜りました。

伊藤先生(「産学連携による価値の創出をめざして〜その陥穽と克服への道程〜」)、吉村先生(「産学連携の現状と課題」)のそれぞれのご講演を拝聴し、当ブログ記事の筆者なりに、産学連携についての多岐にわたるお話全体のごく一部分ではありますが、特に触発された問題点について整理しました。

産学連携について、より理解を深めるために、筆者なりに、以下の二つの問いを立ててみました。

⚪️第一の問:そもそも産学連携の目的は何であるのか。

⚫答:産学連携の目的はイノベーションの実現である。

※以下の説明は、主に西村先生のご講演内容から気付いた点について纏めたものです。

イノベーションの正確な定義について、改めて捉え直す必要があります。なぜならば、イノベーションとは技術革新のことである、との一般的通念が広く流通しており、しかし、それはイノベーションについての正しい理解ではないからです。

イノベーションとは、科学や技術とは直接の関係はありません。研究成果や技術革新は、それだけではイノベーションとは言えません。

イノベーションは社会経済上の概念として捉えるべきものであり、それがイノベーションという言葉に含まれている正しい意味・内容だからです。

イノベーションを実現するためには、新たなノウハウ、斬新なアイディアなどの新知識(未来の価格体系)を、競争相手よりも先に知るということ、つまり「知」が必要です。しかし、それだけでは、十分ではありません。現実の市場(消費者)に、新たなノウハウ、斬新なアイディアなどの新知識により創造された魅力的な商品やサービスを送り届ける者、つまり「媒介」する者が必要です。この市場への媒介行為を実行する経済主体が企業家(アントレプレナー)と言われる者です。

経営学の祖であるP.F.ドラッカーは、イノベーションについて以下のように述べています。

“Entrepreneurs innovate. Innovation is the specific instrument of entrepreneurship. It is the act that endows resources with a new capacity to create wealth. Innovation, indeed, creates a resource.”

「企業家(アントレプレナー)はイノベーションを行う。イノベーションは企業家に特有の道具である。イノベーションは富を創造する能力を資源に与える。それどころか、イノベーションが資源を創造する。」
(ドラッカー著「イノベーションと企業家精神」、上田淳生訳、p8、ダイヤモンド社)

イノベーションを実現するためには、「知の創造」と「市場への媒介」の双方の効果的融合が不可欠です。「知の創造」を大学が担い、「市場への媒介」を産業界が担います。典型的にはこれら二者による産学連携によってイノベーションの創出が可能となります。

世界のイノベーションの歴史を振り返ると、「知の創造」は1920年頃まではエジソンのような個人発明家が、1920年代から1980年代にはナイロンの発明がブームの発端となって大企業の研究所が担いました。そして1980年代から現在においては、シリコンバレーに代表されるようにベンチャー企業と大学の連携によってイノベーションは実現されています。このようにイノベーション史をあらためて捉え直すと、現在の時点では、一般にイメージされるところの「大企業付属研究所によるイノベーションの達成モデル」は過去の観念であることが理解されます。

日本のイノベーション政策では、このイノベーションの概念が、大抵の場合、技術革新それ自体のみに限定されたものとして誤解されて理解されており、それが主因となって企業家(アントレプレナー)ではなく、大学等の研究・技術開発への支援(「知」への支援)に偏ってしまっているのが実情です。しかし、イノベーションが「知の創造」と「媒介者」との協働により実現されるものであるならば、むしろ支援を更に強化すべきなのは媒介者である企業家(アントレプレナー)であることは明らかです。特に国や金融機関等による資金援助、融資制度等をはじめとした企業家(アントレプレナー)への支援状況がかなり不足していると言わざる得ません。

⚪️第二の問:産学連携における企業側の制約条件は何であるのか。
⚫答:産学連携の目的がイノベーションの実現であるならば、「媒介者」は管理経営型企業(再生産管理型企業=非企業家)ではなく、企業家(アントレプレナー)でなければならない。

※以下は、主に伊藤先生のご講演内容から気付いた点について纏めたものです。

現在の日本の産業界は、当然のことながら全ての企業が企業家(アントレプレナー)的な性格をもつわけではありません。既存事業の管理経営型企業がほとんどを占めます。管理経営型企業は、再生産管理型企業であり、新規事業の開発はほとんど行わずPDCA型改善のみにしか関心がありません。※脚注1を参照

ここで改めてP.F.ドラッカーの企業家(アントレプレナー)の定義を確認してみましょう。

“Entrepreneurship rests on a theory of economy and society. The theory sees change as normal and indeed as healthy. And it sees the major task in society — and especially in the economy –- as doing something different rather than doing better what is already being done.” Drucker,”Innovation and Entrepreneurship” p25

「企業家精神の原理とは、変化を当然のこと、健全なこととすることである。
企業家精神とは、すでに行っていることをより上手に行うことよりも、全く新しいことを行うことに価値を見出すことである。」
(ドラッカー著「イノベーションと企業家精神」、上田淳生訳、p3、ダイヤモンド社)

“The entrepreneur always searches for change, responds to it, and exploits it as an opportunity.”  Drucker,”Innovation and Entrepreneurship” p28

「企業家(アントレプレナー)は、状況の変化と、その変化への効果的な対応と、変化をチャンスととらえ、その効果的活用について常に意識している。」
(筆者訳)

伊藤先生は、ご講演の中で、企業家(アントレプレナー)のみが産学連携が可能であり、当該企業が産学連携が可能な企業かどうかは、以下のような問いを立てることにより明らかとなる、と述べられました。

(1)企業に新規事業創出や既存事業の高度化の意欲があるのかどうか?
(2)企業の経営資源に余裕があるかどうか
(3)経営者の人柄、資質(特に中小企業の場合)
(4)大学側のパフォーマンスを理解・評価できるか?
(5)大学の文化をある程度理解できているか。
(6)事業全体のプランを主体的に企画できるかどうか?
   ・新規事業創出のための研究開発に対して主体的に取り組めるか?
    (大学に研究開発を丸投げはできない)
   ・大学側に“やって欲しいこと”をきちんと説明できるか?

以上のように産学連携が可能な企業の条件を挙げられた上で、主に、企業内における研究開発体制の有無と売上規模から、現状の企業をカテゴリー1から3に分類されました。

【カテゴリー1】
専任の基礎研究に従事する研究者が在籍している売上高3,000億円以上の大手企業。

【カテゴリー2】
基礎研究を充実化させるよりも、研究開発部門には、主に商品化可能な実用的領域での技術開発などに取り組む技術者等を配置する。売上高20億円から3,000億円程度までの大手、中堅企業。

【カテゴリー3】
研究開発に専従している職員がいない場合が多い。売上高20億円以下の中小企業。

伊藤先生は、当該企業が企業家(アントレプレナー)的性格をもつ企業かどうかや、企業規模等の諸々の制約を客観的に整理・分析すれば、ある程度、日本での産学連携のためのストーリー・イメージをより明確に描くことが可能である、と提案をされました。

西村先生は、世界のイノベーション史において現在は如何なる歴史段階にあるのかを考察した場合、アメリカでは、まさに1980年代以降、インテルに代表されるように、ベンチャー+大学の産学連携によりイノベーションが実践されている、という現状を述べられました。特に、歴史的に偉大なイノベーションを達成したインテルは、かつての企業付属研究所モデルではなく、実際の工場での技術者による生産ライン上での試行錯誤と、解決すべき問題が発生した都度毎のきめ細かな企業と大学の研究室との相互連携によりイノベーションを実現させました。インテルの成功は、<ベンチャー+大学>の産学連携の代表的な事例です。

演者お二人のご講演の後、主に日本の政治経済、文化、歴史などの特性を踏まえた効果的な産学連携はいかにあるべきかというテーマについて、来場された聴講者の方々を交え活発な質疑・議論がなされました。

※脚注1
 PDCA型改善と、イノベーションとの違いについては、以下のブログ記事を参照。
 「ZESDイノベーション研究ノート(1)メタエンジニアリングが、エンジニアリングとは根本的に異なる点についての考察」
zesda.hatenablog.com