ZESDA's blog

グローカルビジネスをプロデュースする、パラレルキャリア団体『NPO法人ZESDA』のブログです。

プロデューシング・システムを創ることで、日本経済の活性化を目指す、NPO法人ZESDAのブログです。


ミャンマー "アジア最後のフロンティア" ZESDA隊員視察ルポ Day1「ヤンゴンで活躍する実業家」

2016年5月3日、ミャンマー時間17時頃。ヤンゴン国際空港(Yangon international port)に、我々ZESDA隊員3名(下写真左から西川、広瀬、田中)が到着しました。

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ヤンゴンでの滞在期間は3日間。今回の渡航の目的は、実際に現地に足を運んでしか得ることのできないアイデアやビジネスの種をみつけること。92%という高い識字率、ダウェイやティラワといった経済特別区の開発、そしてタイやフィリピンを上回る経済成長率を誇るミャンマー。行動力あふれる3人が"アジア最後のフロンティア"と呼ばれるこの地の内実とその可能性に迫ります。

空港の外に出るとムアっとした熱気に包まれます。ミャンマーの2月下旬から5月中旬は「暑季」で、最も暑い時期。当初は気温が35度近くで、湿度も95%を超えています。暑さに負けてはいられないと、さっそくヤンゴン市内にある宿泊先に向かうため、目の前にいるたくさんのタクシー運転手と料金の交渉を始めます。最初にOKしかけた、タクシーの料金設定は15,000チャット(約1500円)で、即「NO」とお断り。その後何人かと交渉して、最終的に事前に見積もった7,000チャットを提示したタクシーで市内へ向かいます。

初めて見るヤンゴンの町並みは、タイやカンボジアのそれを彷彿とさせますが、トゥクトゥクは1台も見かけることはなく、モーターバイクもまばら。すれ違う車は日本製がほとんどで中古車が大半を占めています。渡航前の調査で、市内の渋滞は激しいというイメージがありましたが、時々停車することはあっても想像していたよりは混んではいませんでした。ラッキーだったのかもしれません(後に、ヤンゴンは娯楽施設が少なく敬虔な仏教徒が多いことから、夜9時を過ぎると人の数が減り交通量が激減することを知る)。空港から40分ほどでホテルに到着。あたりはすでに真っ暗で、道路沿いにあるお店のネオンサインや看板がみえます。看板はミャンマー語と英語での併記が多いです。

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ホテルに入り、荷物を整理した後に さっそくヤンゴンでお仕事されている日本人の方と会食です。場所はホテルからタクシーで10分くらいにある、シェン料理のレストラン「Shan Yoe Yar」。現地の人にも大人気で、建物や接客係の服装、屋内の装飾を見る限りファンシーなレストランのようです。

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〜会食の席にて〜

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たくさんのミャンマー料理に舌鼓を打ちながら、我々は目の前に座っている邦人と談笑中。今回、ご一緒させて頂いたいのは田村さんと今村さん。以下、簡単にですがお二方のご紹介です。

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(写真左が今村さん、右が田村さん)

田村啓(たむらけい)さん
2015年4月にミャンマーに渡り、その2ヶ月後にWillグループの現地法人を設立。主にミャンマー人向けの求人サイトの開発運営やミャンマー人を対象にした外資系企業への人材紹介を行っている。会社サイト:Dream Job Myanmar Corporate Site on Strikingly  

今村裕樹(いまむらひろき)さん
2013年頃からミャンマーでビジネスを始め、その当時働いていたシンガポールでのスタートアップで2014年からミャンマーに移住後、本格的に始動。主に電気設備の輸入販売、施工を行っている。会社サイト:Ever Glory Trading Company Limited – Yangon – Myanmar

まず、田村さんにミャンマー事情についてお訊きします。

Q. ミャンマーでビジネスを始めたきっかけ

「一言で言えば直感です。70か国を訪れた上で、行ったこともないミャンマーに惹かれました。この国に住み事業をするととにかく一度決めたから、理由を探さずとにかくやり切るまでやろうと思ってやっています。」

Q.ミャンマー人の勤務態度や性格は?

田村さん:「真面目で良い方も多いですが、日本人にとっては無責任に見える行動をとる人も少なくありません。また、これはあくまでも日本と比較してですが、無断欠勤もたまにあったりしますし、一部の社員は欠勤を咎めても繰り返したこともありました。ただ、これが毎週あるというようなことはないですし、私の会社の社員のほとんどは無断欠陥はないです。あとはよく、女性が男性よりも勤務態度がよいという話がありますが、私の目からすると、同じオフィスでは男女の勤務態度に目立った差はありません。差があるのは勤勉性です。その勤勉性が進学率の差となり、高等教育を受ける差となり、結果として優秀な人材の多くが女性である、という現象に繋がっています。よって、外資系のオフィスで働けるような男性は女性の勤務態度とあまり変わりませんが、その数が少ない、ということになります。」

Q. 家族で誰か一人が働いていれば他は働かないもしくは働くのをやめると聞いたことがありますが?

田村さん:「それが社会で一般的かというと必ずしもそうではない気がします。ただ家族で一人、ある程度稼げるメンバーがいた場合、他の兄弟姉妹はあまり働かなくても、それを許容する家族もしばしばあります。仕事を辞めて、1年くらい何もせずに過ごしている、ということもあまり珍しくはありません。」

Q.オフィス賃料について

田村さん:「過去に、数少ない小奇麗なオフィスビルは月100USD/平米を超えていた時期が最近までありました。ただ、今年になって大体60USD程度に下がってきましたが、、それでも恐ろしく高いですよね。」

Q.その他

田村さん:「ヤンゴン市内はバイクの乗り入れが法律で禁止されています。他の東南アジア諸国ではバイクやトゥクトゥクが多く見られて、ここでみかけないのはそのためです。そうですね、他には、、ここへ来るまでにたくさんの車を見かけたと思いますが、、2年くらい前までは車の底が抜けているぼろぼろの車ばかりだったんです。ただ、関税を含む輸入規制そのものが緩和されたこともあり、車の質が格段によくなっています。」

続いて今村さんにお訊きします。

Q.ミャンマーでビジネスを始めた年月日とそのきっかけ

今村さん:「きっかけはアジアにしばらく住んでみたいと思ったからです。当時シンガポールで会社員として働いていました。シンガポールでの生活、仕事には非常に満足しておりずっとシンガポールに住むのもいいなと思っていました。ただビザの取得が難しくなったり、10年、20年先もサラリーマンという立場でシンガポールに住み続けるのは難しいなと思っていました。"自分の好きな場所に住みたい"という想いを形にするのは起業という手段が最適なのかなと思い、その時から起業を検討し始めました。ただシンガポールは成熟市場で起業は容易ではなさそうだったので近隣の東南アジア諸国での起業を考えていました。自分で月一回の海外視察を実施し、最もポテンシャルを感じたのがミャンマーでした。丁度国が開かれ始めた年でした。この国でビジネスをしてみたい、そう思ったのが最初のきっかけです。二つ目のきっかけはシンガポールの会社の同僚がミャンマー人で彼と始めた副業(ミャンマーに日本の医療機器を販売)が上手くいき、一緒にビジネスをやろうと意気投合したことです。彼が今の会社のパートナーです。」

Q.仕事内容

今村さん:「主に電気設備の輸入販売、施工ですが、具体的には防災設備、防犯設備、通信機器などの製品を工場、ホテル、商業施設などへの設置をしております。今は日本とミャンマー政府が共同で出資しているティラワ経済特区などの日系の工場向けの仕事が多いです。」

Q. ミャンマーでビジネスをするうえでの障壁

今村さん:「最大の障壁は感覚の違いですね。ミャンマーは長年鎖国状態だったので違いがかなり大きいです。小手先の仕事は教えればどうにかなりますが、感覚の違いは長年の生活を通して身につくものなので容易には教えることができません。弊社の仕事は物を売るだけでなく機器の取り付けを行うところまでが仕事です。日本では当たり前に照明やエアコンが真っすぐきれいに設置されていますがミャンマーでは取り付けの際に斜めになったり、部屋ごとに取り付け方が違っていたりと精度が高くありません。ミャンマー人からすると「使えるからいいじゃん」という感覚ですが、外国人相手の仕事では通用しません。何がきれいな設置かという感覚を教えるのは相当な時間と経験が必要です。」

Q. 今後やりたいこと

今村さん:「私の人生の目標は好きな時に好きな場所に住むということなのでミャンマーに限らず住みたい国が見つかればその国でまた起業をしてみたいと思います。」


話に熱中しすぎて、あっという間に時間になりました。
田村さん、今村さんのお話はここでは書ききれないほどまだまだたくさんあり、どれもとても刺激的な内容ばかりでした。
はるばる日本からやってきて、不慣れな環境でありながらも、情熱をもってビジネスをされているお二人のその姿はとてもかっこよく写っていました。田村さん、今村さん、お忙しい中、本当にありがとうございました。

このような具合で、初日からとても充実した日となりました。
明日も別件での会食、そして突撃調査など盛りだくさんの一日となります。楽しみです。Day2へと続く。

Day2 「突撃調査」
zesda.hatenablog.com

Dr. Robert D. Eldridge(法政大学 沖縄文化研究所 国内研究員、元米国海兵隊太平洋基地政務外交部次長)より 「沖縄問題の真実 ~米国海兵隊元幹部の告白~」 Platform for International Policy Dialogue (PIPD) 第28回セミナー開催のご報告

NPO法人ZESDAは、「官民恊働ネットワークCrossover」(中央省庁の若手職員を中心とする異業種間ネットワーク)との共催、株式会社クリックネット まなび創生ラボ株式会社自由が丘パブリックリレーションズの協力により、在京の大使館、国際機関や外資系企業の職員、及び市民社会関係者をスピーカーに迎え、国内外の政治・経済・社会問題について英語での議論を通じて理解や問題意識を高める、「Platform for International Policy Dialogue (PIPD)」を開催しています。


7月15日(金)の朝7:30から9:00まで開催しました第28回PIPDセミナーは、在日米軍沖縄海兵隊司令部の元高官であり、現在、沖縄問題を中心に様々なメディアを通じて出版、執筆、翻訳活動を展開されているDr. Robert Eldridgeをゲスト・スピーカーとしてお招きし、「The Truth of the Issue on Okinawa –reported and unreported aspects of Okinawa(沖縄問題の真実-報道される沖縄、されない沖縄」をテーマにディスカッションを行いました。

Dr. Eldridgeは、ご自身が沖縄問題と向き合う際の基本的姿勢を、静かに、ゆっくりと、そして力強く語ることでプレゼンテーションを始めました。
「私が日本で暮らし始めて26年になる。この間、沖縄駐留の海兵隊幹部として7年間同地に勤務した経験を含め、20年以上に亘って沖縄の基地問題と向き合い続けてきた。そして今でも自分が愛する沖縄のことを考えない日は無い。」

「この間、私は常に「真実」を追究してきた。これには「熱意」だけでなく、事実を志向する科学的・客観的姿勢が大切だ。感情的になりすぎれば事実を損ね、事実ばかりを見ていては人々の感情を忘れてしまう。」

その上で、Dr. Eldridgeは「私の今日の話は、一つの結論を皆さんにかみ砕いて(spoon-fedで)伝えようというものではない。今日の話を材料として、ご自身でよく考えて頂きたい」と参加者に伝え、沖縄基地問題の「報道されない」側面を考える上でのキーワードと、たくさんの写真を紹介していきました。

Dr. Eldridgeは、沖縄は基地問題を巡って、いわゆる「保守」も「革新」も、「白か黒か」のレッテルを張りあい、互いの主張に耳を傾け合う状況にないこと、圧倒的なシェアを持つ地元二紙以外のメディア情報が限られる中、沖縄の基地とは直接の結びつきが希薄な外国を含む県外のグループが政治的思惑と既得権益を持って深く関与することで、問題がこじれ、また歪められてしまっていることを強調されました。

例えば、Dr. Eldridgeが沖縄海兵隊で広報担当を務められていた時、オスプレイ(固定翼機とヘリコプターの特性を併せ持った垂直離着陸が可能な航空機)の沖縄への配備が大幅に遅れましました。これは、危険性ばかりが喧伝されて政治問題化したためでした。しかし、その機能や安全性向上に向けた取組を沖縄県民に対してオープン且つ分かりやすい形で知ってもらうための「オスプレイ・ファミリー・デイ」といった海兵隊主催の取組みに多くの県民が参加してくれたことについては、殆ど顧みられなかったことを紹介されました。

また、喉に食べ物がつまり息ができなくなった時に応急措置で命を救ってくれた若き海兵隊員に感謝状を送った年配の沖縄県民女性や、「平和団体」と称するグループによるアメリカ人へのヘイト・スピーチとも受け取れる活動に心を痛めた米軍兵士やその家族を励ます「Heart Clean Project」活動に励んでいる沖縄県民の方々は、支持や賞賛ではなく、脅迫の対象となったり、脅迫を恐れて身分を隠さなくてはならなくなっているというストーリーを紹介されました。

併せて、Dr. Eldridgeは、「人口密集地に建設された」、「世界一危険な」という標語とともに報道されがちな普天間飛行場について、1945年に建設されて以来、一度も死者を出すような事故が起こっていないこと、宜野湾市人口が建設当時の6,800人から97,000人と十四倍以上に増加しているデータに示される通り、人口密集地を選んで基地が作られた訳では必ずしもなく、人々が様々な理由から基地の近くに住むようになったという事実を示されました。

Dr. Eldridgeは、基地反対派の主な集会には県外からの参加者が相当程度含まれていること、また「主催者発表」の参加者数は、会場となった施設の収容可能人数という客観的な事実に照らしても明らかに過大であるにも関わらず、「沖縄を代表する声」、「沖縄の声が一つになった」という形でメディアを通じて拡散されていくことにも、違和感を覚えると主張。「沖縄にも多様な声がある」という事実がかき消され、基地についての冷静な議論ができないことについて強い懸念を示されました。

そして、沖縄の海兵隊の拠点は、南シナ海をめぐる国際司法裁判所の判決等の動きにより中国による沖縄方面への進出が今後ますます活発になることが見込まれるなかで、日本の平和はもちろん、アジア・太平洋地域や世界全体の安定にとって極めて重要であることを強調されました。また、海兵隊自衛隊ができない/やらない“3K(危険、汚い、きつい)ミッション”に取り組んでいることに触れつつ、「日本は何をしたいのか」がハッキリしないまま、非生産的議論が続けば、海兵隊が「付き合いきれない」と感じる日が来るかも知れないこと、その場合には、日本はより一層深刻な問題と直面するかもしれないと警鐘を鳴らして、プレゼンテーションを締めくくられました。

Dr. Eldridgeからの重く困難な問題提起に対して、会場からは多数の手が上がりました。「人々が異なる意見に耳を傾け、冷静に議論するための機会はどのようにしたらつくれるのか?」、「何故メディアは一方向に傾きがちなのか?」、「アメリカで大統領交代が予定される中で、米国の沖縄問題に対するスタンスや優先順位は変わりそうか?」等、様々な質問や議論に対して、Dr. Eldridgeは一つ一つていねいに答えて下さいました。

なお、Dr. Eldridgeは、国際性と広い視野を持ったリーダーを育てることを目的として公益財団法人「国際文化会館」が主宰している「新渡戸国際塾」の講師も務められています。

日々多忙を極めておられ、且つ、現在沖縄にお住まいであるDr. Eldridgeをゲスト・スピーカーとしてお迎えすることができたのは、これまでPIPDセミナーに参加されてきた「国際文化会館」の職員の方々にDr. Eldridgeをご紹介頂いたためです。この場をお借りして、ご厚意とご縁に感謝申し上げます。

また、今回もセミナー会場に「まなび創生ラボ」をお貸し頂いた株式会社クリックネット 社長の丸山剛様、並びに同社社員の皆様にもお礼を申し上げます。有り難うございました。

6/25(土) CISA×ZESDA 第一回Meeting in Japan 開催報告

6/25(土)CISAとのコラボイベント、第一回 Meeting in Japan「Share Your Vision ~Dream in Japan ,Dream in your country~」を開催いたしましたのでご報告させていただきます。

今回のイベントはZESDA初の試みとなります。CISAに所属する留学生を中心にの将来のVISIONを聞きながら交流を深め、VISIONや課題を共有することで、今後、ZESDAとして協力できることを探していくことが目的です。

当日はペルー留学生の会「APEJA-在日ペルー人学生・卒業生協会」の協力もあり、ペルー、スペイン、台湾、ドイツ、モンゴル、香港、インド、イタリア、ナイジェリアと9ヶ国19人の留学生にご参加頂きました。日本人の参加者を含めて合計47名の参加となり、第1回目としては予想を遥かに超えた盛会となりました!

今回は日本人側がIT、金融といった9つの業界に分かれ、留学生の今後のVISIONについて話し合いました。
その中では、
・ペルーには品質の良いシルバーがあるので、世界に通用するジュエリーブランドを作りたい
・健康にいいキヌアをもっと世界に発信したい
・イタリアのアートと日本の文化の相互の良いところを伝えられるような仕事をしたい。
・自国の河川の氾濫を防げるようにしたい。
といったVISIONを共有することができました。

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また、
・日本の社会文化(上役より先に食事に手を付けない等)が分からないので海外ビジネスマン向けのマナー講座があればいいのに!
・地下鉄の案内がわかりづらい
・日本企業に就職したくても面接を突破できるほどの日本語力がなく、ネックになっている
・母国の料理を作りたいけど、食材が売っていない、売ってても高い
といった留学生が日本で暮らして上での課題についても話が広がりました。

日本人だけでは考えつかないようなアイディアや視点がたくさん出てきました。

今回のイベントを通じて、留学生からは
「こんなに色々な国の留学生が集まる会はないので凄くよかったです!」
「色々な職業の日本の方の話を聞くことができて貴重な経験になりました!」
「日本の企業で働くために支援してくれる団体や場所をもっと創ってほしいです」
といった感想を頂きました。

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今回のイベントは初の試みのため、特定の方にお声掛けさせていただきました。今回のイベントを開催し、今後、更に留学生や参加者の方にとって、よき交流・情報交換の場となるよう、イベントを洗練させ、公開イベントとして実現できるよう検討していきたいと思います。
是非、第2回もお楽しみにお待ちいただければと思います!

今後もZESDAはこのような交流の場を提供し、参加者の方に新たなintroduce(出会い)、inspire(気づき)を得ていただけるよう、活動して参りたいと思います。
応援のほどよろしくお願いいたします。

ペルー留学生会と提携覚書(Partnership Memorandum of Understanding)を交換しました!Signing of the Memorandum of Understanding between ZESDA and APEJA on the future collaboration.

2016年7月8日、NPO法人ZESDAは、APEJA(在日ペルー人学生・卒業生協会)と、コラボレーションパートナーとして協働していく旨のパートナーシップ覚書を締結いたしました。NPO法人ZESDAの西川代表特別代理(写真左)とAPEJAのアントニオ会長(写真右)が調印を行いました。今後は、継続的なコミュニケーションを維持しつつ、様々な局面で協働していく予定です。

In accordance with the understanding reached between ZESDA(Zipangu Economic System Design Association) and APEJA(Asociación de Peruanos Estudiantes y Egresados en Japón) on the future collaboration in general, the signing of the Memorandum of Understanding on the future collaboration took place in Tokyo on July 8th, 2016 between Mr. Shintaro Nishikawa, the special representative of ZESDA, and Mr. Cesar Antonio Diez Pachas, President of APEJA.

Both parties desire to form this partnership for mutual benefit and make an effort to accept the request for discussion on the cooperation.


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Mr. Charles Spreckley (People Make Places 創始者、トラベルコンシェルジュ)より 「人が場所を作る ~ 「上質」が日本の観光ビジネスの鍵」 Platform for International Policy Dialogue (PIPD) 第27回セミナー開催のご報告

NPO法人ZESDAは、「官民恊働ネットワークCrossover」(中央省庁の若手職員を中心とする異業種間ネットワーク)との共催、株式会社クリックネット まなび創生ラボ株式会社自由が丘パブリックリレーションズの協力により、在京の大使館、国際機関や外資系企業の職員、及び市民社会関係者をスピーカーに迎え、国内外の政治・経済・社会問題について英語での議論を通じて理解や問題意識を高める、「Platform for International Policy Dialogue (PIPD)」を開催しています。


6月24日(金)の朝7:30から9:00までの時間帯で開催した第27回PIPDセミナーは、海外の主に超富裕層をターゲットに、日本への観光旅行をアレンジするコンシェルジェ・サービス「People Make Places」を創設・運営されているMr. Charles Spreckleyをゲスト・スピーカーとしてお招きし、「People make places – why quality, not quantity is Japan’s best tourism solution(人が場所をつくる-日本の観光業の鍵は「量より質」?)をテーマにディスカッションを行いました。

なお、今回も株式会社クリックネット 社長の丸山剛様、並びに社員の皆様のご厚意で、セミナー会場として同社が主宰する「まなび創生ラボ」をお貸し頂きました。この場をお借りしてお礼申し上げます。有り難うございました。

「人は、あなたが言ったこと、したことは忘れる。しかし、あなたにどんな気持ちにしてもらったかは決して忘れない。」(People will forget what you said. People will forget what you did. But people will never forget how you made them feel.

「人を中心とするアプローチ」を柱としてコンシェルジェ・サービスを提供してきたSpreckley氏は、ご自身が最も影響を受けたアメリカの詩人・歌手であるマヤ・アンジェロウの言葉をプレゼンテーションの冒頭で紹介されました。

「お客様が時々、『何でかよく分からないけれど、凄く幸せな時間だった』と伝えてくれることがあります。私は相手にそう思ってもらうことこそ「もてなし(hospitality)」だと考えています」と語るSpreckley氏は、ご自身が創り上げた書籍そして携帯アプリのコンテンツを織りなす、様々な空間と、その空間を作る人を巡る物語を紹介していきました。

例えば、西麻布交差点近くの「すし匠 まさ」店主の岡正勝さん。四谷の名店「すし匠」の親方で師匠として尊敬する中澤圭二氏の元で修行後、「のれん分け」の栄誉に預かった岡さんは、左利きという鮨職人にとってのハンディキャップを凄まじい努力で克服。今は、7つしかないカウンター席に囲まれながら、師匠の姿勢を受け継いで一つ一つの瞬間に妥協無く挑み続けている・・・。

江戸時代から続く鰻の老舗「五代目野田岩」の金本兼次郎さんは、秘伝のタレを決して絶やさない。地震が起これば自分や家族の身の安全よりも、まずタレの入った壺の無事を確認するために厨房に飛んでいく・・・。

銀座でアート・ギャラリーを構える小柳敦子さんは、「マーケットのために働くのではない。規模を追求するのでもない。小さくとも確かな幸せを誰かに届けたい、そんな想いを持ったアーティストと長く続く関係を創るのが私の幸せです」と語る・・・。

印象的なストーリーと写真でセミナー参加者を惹き付けながら、Spreckley氏は、ご自身が日本で観光業に関わることになったきっかけを共有してくれました。それは全く偶然の産物だったそうです。18歳だったSpreckley氏がバックパッカーとして初めて出会ったアジアは中国でした。その時隣国である日本には、関心を抱くも訪れるチャンスが無かったとのこと。その後ひょんなことから日本に訪れ日本でジャーナリストとして雑誌等の編集に6-7年関わっていました。その間、日本への観光に興味を持つ友人から多数の問い合わせを受けたことから、トラベル・コンサルタントとして独立する道を選んだそうです。

当初は顧客を選ばず安価なサービスを提供していたSpreckley氏でしたが、東日本大震災を経て観光客が一切なくなってしまったそうです。そんな中、その年の後半に、とある中東の王族の家族旅行が彼の元へ飛び込んできました。彼らの望みは、観光客向けに作られた場所を訪れるのではなく、日本固有の独特の体験をすることでした。このお客様をきっかけに、「オンリーワンでプライベートな、そして忘れがたい想い出を日本で得たい」と願う「一日当たり100万円」を使うことも厭わない超富裕層に特化したサービスへと自身のビジネスモデルを転換していったそうです。

Spreckley氏がPeople Make Placesで紹介するのは、たとえ日本語が分からなくても、そこで時間を過ごせば、場を創る職人やアーティストの拘りや人生が伝わってくるような、場所であると言います。開発したアプリ版のPeople Make Placesでは、顧客が「知る人ぞ知る隠れ家的な場所」をタクシー運転手に示す際の助けになる、簡易な日本語でのナビゲーションサービスも付いています。

規模は小さくとも印象的な場所を海外の富裕層顧客に紹介するに当たっての、Spreckley氏の最大の悩みは、顧客が旅程を急に変更して夕食等の予約を直前でキャンセルすること。People Make Placesが紹介するレストランは、上で紹介した「すし匠まさ」のように5―7席のカウンターしかないようなお店が多い。こうしたお店にとって、3-4席の予約の直前キャンセルは経営上のダメージが大きい。しかしSpreckleyさんは、「本当の損失は“お金”ではなく“信頼”である」と言います。レストランの経営者やシェフ、職人さん達は、今宵訪れるお客さんが忘れがたい時間を過ごせるよう、精魂を込めて食材を調達し調理に臨んでいる。「たかがレストランの予約」という発想で安易に直前キャンセルをすれば、こうした想いを踏みにじることになる・・・。Spreckleyさんは、お金には換算できないこうした背景を顧客に説明することで、突然のキャンセルを止めてもらうよう説明を試みているそうですが、なかなか伝わりにくいことが悩みだそうです。

また、最近、日本が「年間2,000万人の外国人の日本旅行者」をターゲットとして国を挙げて「Visit Japan Campaign」を展開していることについて、「数字が一人歩きすることで、“日本を特別な場所たらしめている何か”を失うリスクがある」と憂慮されているとのことです。他方で、京都等のよく知られた観光地が外国人でいっぱいになることは、奈良や和歌山等の近隣の、余り知られていないが素晴らしい土地が、海外の観光客に知られやすくなるチャンスともなる、との期待を示されました。その関連で、和歌山県が独自のツアーガイド資格をつくり、同県に馴染みの深い外国人もこの資格を活用して、外国人観光客が和歌山県を楽しめるよう「水先案内人」の役割を果たしていることが紹介されました。

プレゼンテーションの締めくくりにSpreckleyさんから、参加者全員に、「People Make Places」の書籍が贈られました。アルバムのように立派な本を開くと美しい写真や人々の表情が背景にあるストーリーと共に綴られています。思いがけないサプライズ・プレゼントに会場は歓声に包まれました。

プレゼンテーション後には、「超富裕層のみに焦点を絞ったサービスとする理由」や「コンシェルジェとして仕事をする上での最大の喜び」、「現在の日本政府による訪日観光客増加策を成功させる上での課題」等についての質問が出されました。また、「People Make Places」のコンテンツを充実させるために、参加者一人一人が「特別だ」と感じた「忘れがたい場所」を2-3人でペアとなって話し合い、Spreckleyさんをはじめ会場全体と結果を共有し合うグループワークも行いました。